玄関雑学の部屋雑学コーナー放射線による発がん

解説1

寿命調査集団

原資料82ページのBox4.1に記載されているように、寿命調査集団の内訳は被爆者群と非被爆者群(対照群)が同数であり、しかも性と年齢が一致するように選択されています。 本来の前向きコホート研究では、放射線の影響を公平に評価するために、被験者を無作為に同数の2群に分け、一方に放射線を照射し、もう一方には放射線を照射しないという無作為割付を行います。 そしてさらにプラセボ効果(心理的な暗示効果)による偏りをなくすために、被験者も観測者も誰が放射線を照射され、誰が照射されなかったかをわからない状態にした上で結果を観測して評価する、二重盲検法(Double Blind Method)による無作為化比較対照試験(RCT:Randomized Controlled Trial)にするのが理想です。

しかし放射線が人体に与える影響を調べる研究では、倫理的な問題からこのような厳密な試験を行うことはできません。 これはこの種の研究の特徴であり、それによって研究方法に制約が生じ、結果の信頼性に一定の制限が生じます。 そういった制約条件下では、被爆者群と非被爆者群の背景因子——集団を特徴付け、結果に影響を及ぼす可能性がある因子——をできるだけ均等にするために、次善の策として性と年齢が一致するように被験者を選択します。 性と年齢は被験者集団を特徴付ける最も重要な背景因子であり、これらが2群で均等ならば、他の背景因子——例えばガン発生に強く影響すると考えられる喫煙率等——も均等になる可能性が高いからです。

この方法は最近の医学研究では常識になっていますが、寿命調査が開始された1950年当時にこの方法を用いたのは驚異的です。 医薬品の承認許可規準に二重盲検法による無作為化比較対照試験が必須になったのは1967年からであり、それ以前は「三段論法」ならぬ雨乞い三タ論法による症例研究試験でも医薬品は許可されていました。

雨乞い三タ論法とは、「雨乞いをした→雨が降った→雨乞いが効いた」と、「た」を3つ重ねて推論する似非三段論法です。 これは経験に基づいて色々な因果関係を推論する経験的思考法であり、これを応用した症例研究試験では対照群を置かずに薬剤を使用した群だけで試験を行います。 そして病気が治った場合、自然治癒を無視して「薬剤を使用した→病気が治った→薬剤が効いた」という結論を強引に導き出します。

困ったことに民間療法や似非健康科学では、現在でもこの雨乞い三タ論法による試験結果が大手を振ってまかり通っています。 (→当館の「閑話閑人・その6 雨乞い三”タ”論法のカラクリ」参照)

評価項目

原資料では、放射線が人体に与える影響の評価項目(endpoint)——疫学用語では帰結(outome)——を各種のガンによる死亡にしています。 これについては、原資料の81ページに「がん発生の把握は難しいのでがん死亡で代用されることが多い」と説明されています。 しかし「endpoint」とは元々は死亡のことであり、疾患による死亡が真の評価項目(true endpoint)であり、その代用評価項目(surrogate endpoint)として疾患の発症や症状の発症を用いるのが普通です。 例えば心臓病では心臓病による死亡が真の評価項目ですが、それは非常に希な現象なので、代用評価項目として普通は総コレステロールや中性脂肪を利用します。

以上のような理由から、ガン死亡は真の評価項目といえます。

またこれだけ長期間にわたって被験者の生死を観測したのなら、普通は生命表解析(生存時間解析)手法を用いてリスクを分析します。 しかしこの研究が開始された頃はまだ生命表解析は一般的ではなかったので、この資料では用いられていません。 実は疫学分野では慣習的に生命表解析は利用されず、現在でもあまり用いられません。 以前、疫学研究者の方の研究のお手伝いをしたことがありますが、生命表解析のことは知識としては知っていても、実際に利用したことはないということでした。

その代わり、疫学分野では特殊な多変量解析(ポアソン回帰分析)を利用して背景因子の影響を補正することが多く、この寿命調査でも利用されています。 しかし多変量生命表解析を利用すれば、背景因子の影響を補正した上で、死亡率の時間的な変化についても検討することができます。 もし僕がこの研究のデータ解析を手伝う立場にいたとしたら、必ず生存時間解析を薦めたと思います。 (→当館の「統計学入門・第11章 生命表解析」、「統計学入門・第15章 ポアソン回帰分析」参照)