少し以前に、ある人が懐かしい寓話を思い出させてくれました。 それは、僕が新入社員の頃に会社の研修で聞かされた「三人のレンガ職人」という寓話です。 この寓話はアイソーポスの寓話——日本では、アイソーポスを英語読みした「イソップ物語」として有名——のひとつであり、企業の新入社員教育や社員研修などで、社員のモチベーションを上げるために盛んに利用されています。
ただしアイソーポスは古代ギリシャ時代の人であり、この寓話の舞台は中世ですから、これはアイソーポス自身が創った話ではないと思います。 実はアイソーポスの寓話は全てが彼の創作ではなく、それ以前から伝えられていた寓話や民話、そして後に創作されたアイソーポス風の寓話が全て「アイソーポスの寓話」としてまとめられたものなのです。 (^_-)
この寓話は色々なところで利用されるせいか、色々なバージョンがあります。 まずは、僕が研修で聞かされた正統派バージョンをご紹介しましょう。
中世ヨーロッパのある街で、大聖堂の建築が行われていました。 そこで三人の職人がレンガを積んでいました。
そこに旅人が通りかかり、一人目の職人に何をしているのか尋ねました。 するとその職人は、
「親方に言われて、ただレンガを積んでいるだけさ。 つまらない仕事だよ」
二人目の職人に同じことを尋ねると、
「レンガを積んで壁を作っているんだ。 この仕事は大変だけど、賃金が良いのでここで働いているんだよ」
三人目の職人にも同じことを尋ねると、
「大聖堂を造るためにレンガを積んでいるんだ。 この大聖堂ができれば街中の人が喜ぶだろう。 私はこの仕事を誇りにしているよ」
……さて、あなたはどの職人になりたいですか?
僕がこの寓話を聞かされた時はまだ若くて純真だったので(*^^*)、単純に感動してしまいました。 p(ToT)
しかしそれから色々なことを経験して社会の裏を知り(^^;)、世間に対して斜に構えた悪徳窓際幽霊社員になってからは、自分の部署に配属された新入社員に対して次のような裏バージョンを話し、純真な新入社員を惑わして喜んでいました。
この裏バージョンは僕のオリジナルです。 v(^_-)
(三人の職人の回答までは正統派バージョンと同じ)
実は、一人目の職人は仕事よりも家族を大切にし、家族と一緒に仲良く暮らしていました。
二人目の職人はお金を貯めて、そのお金で恵まれない人のためにボランティア活動をしていました。
三人目の職人は家族よりも仕事を大切にし、家庭を顧みなかったため妻から離婚され、子供も妻と一緒に彼から去って行ってしまいました。
……さて、あなたはどの職人になりたいですか? (^_-)
この寓話を思い出したついでに、フリーランスになって気ままで自堕落な生活をしている言い訳にしようと、次のような蛇足バージョンも考えました。
(三人の職人の回答までは正統派バージョンと同じ)
四人目の職人は少しへそ曲がりだったので、「大聖堂ができれば街中の人が喜ぶ」ということが本当かどうかを知るために、大聖堂を建築することになったいきさつと、建築を命じた人のことを調べました。
その結果、大聖堂は王様が自分の権力を誇示するために建てようとしており、建築資金を調達するために庶民に重い税金をかけていることと、王様が庇護する宗教以外の宗教を信奉する人達を迫害していることがわかりました。
そこで職人は大聖堂建築の仕事を辞め、王様によって重税をかけられている貧しい人達や、迫害されて苦しんでいる人達のために、レンガを積んで住居を造ることにしました。
大聖堂建築の仕事と違って、その仕事の報酬は貧しい人達が提供してくれる粗末な食事だけでしたし、世間の評価も低かったのですが、職人はその仕事に誇りを感じるようになりました。
……というように職人になりたくて、僕は会社を辞めてフリーランスになったのです——というような言い訳を我と我が身につぶやいて、今日もまた気ままで自堕落な生活を楽しんでいます。 v(^^;)
以前、仕事で参加した学会で、「曲がりくねった道」という面白い寓話を聞きました。 それは、固定観念に縛られていると合理的な発想がしにくく、昔から行ってきた慣習を変えることがいかに難しいか、ということを意味する寓話でした。 その話を、僕なりに少し脚色して紹介することにしましょう。 (^_-)
昔々、あるところに草が生い茂った野原がありました。 ある時、その野原に狐に追われてウサギが逃げて来ました。ウサギは狐から逃れようと野原を右往左往しながら曲がりくねった道筋で逃げ回り、野原の向こうに逃げていきました。
するとそのウサギを追って狐がやってきて、やはり曲がりくねった道筋で野原を駆け抜けていきました。 次にウサギと狐の匂いを頼りにして色々な動物がその野原を横切って行き、曲がりくねった獣道ができました。
その後、その獣道を人間が利用するようになり、野原の中に曲がりくねった小道ができました。 やがてその野原に人間が沢山やって来て、生い茂った草を刈り、小道を中心にして人が住むようになりました。 そしてそこに住む人が次第に増えていき、小さな町になりました。
そのうちに町の住人達は、その小道を整備して大きな道路にし、生活に便利なようにすると同時に、沢山の旅人を迎えて町が繁栄するようにしたいと考えました。 その小道が曲がりくねっている理由を町の住人は誰も知りませんでしたが、多くの住民が不便に思っていたので、この際、その小道をまっすぐな道路に直した方が良いという意見が出ました。
しかしその町の町長を始めとする有力者達は、小道に沿った便利な土地に家を建てていたので、
「町を作った先人達の意思を尊重しなければいけない!」
町の住人はその2つの案について色々と議論しましたが、最終的には町の有力者達がお金と権力にものを言わせて舗装案を無理矢理押し通し、舗装工事が行われて小道は舗装道路になりました。
しかしその後、隣の野原が開発されて町ができ、まっすぐな道路が通ったため、旅人は隣町を通るようになり、その町の道路を通らなくなりました。 その町の住人はあせりましたが、その頃には曲がりくねった舗装道路を中心にして家が立ち並んでいたので、今更、道路をまっすぐに直すことはできなくなっていました。
そこで町の住人は次々に隣町に引っ越し、その町は寂れていって、とうとうゴーストタウンになってしまいました。 そしてその後、誰が言うともなく、その町の残骸は「長良川河口堰の町跡(^^;)」 と呼ばれるようになりましたとさ。