SFでお馴染みの、とんでもない発明や発見をする、いわゆる「(ピーッ!)違い科学者 (^^;)」です。 子供の頃、僕はマンガやSF小説に出てくるマッドサイエンティストが大好きで、将来はマッドサイエンティストになることが夢でした。 「鉄腕アトム」に登場するアトムの産みの親・天馬博士(髪型がカッコ良かった!)や、「ゴジラ」に登場するオキシジェン・デストロイヤーの発明者・芹澤博士(平田昭彦が演じていて、黒い眼帯がカッコ良かった!)なんて、猛烈に憧れたもんです。
物語にはやたらと登場するものの、現実の社会にはマッドサイエンティストなんていないだろうと思われるかもしれませんが、さにあらず! 近代科学が確立する以前には科学は魔術と同類で、その頃の科学者は現代から見ればほとんどマッドサイエンティストそのものでした。 現在でもマッドサイエンティストの伝統を受け継ぐ人がたまにいて、欧米では、熱力学の第2法則(エントロピー増大の原理または永久機関不能の原理)が知れわたっているにもかかわらず、永久機関の特許申請が後を絶たないそうです。
僕は仕事の関係で科学者と多少付き合いがありますが、中にはマッドサイエンティスト風の人物もいます。 特にすごかったのは、アインシュタインの一般相対性原理を応用して、四次元世界と人間の精神世界との関係を解明し、古代ムー大陸が沈没したのはムー文明人が時間軸の操作をやりすぎたことが原因であると唱えている、自称「超古代物理学研究家」です。 ひょんなことからその人の弟子と知り合い、自費出版したブ厚い研究書をもらいました。 その本は偏微分方程式の提示とその展開でほとんど埋め尽くされていて、最後のページに著者の学生時代の写真と、どういう訳かその当時の寮歌らしき歌が載っていました。
もうひとり印象的だったのは「生命の水・πウォーター」の発見者です。 πウォーターを製造販売している会社は、以前、僕の会社の同じ部にいた2人の先輩が社長と学術顧問をやっていますので、その関係で発見者である生化学者を知りました。 僕の見たところでは、πウォーターは防腐効果を持つ特殊な緩衝液(pHを一定に保つ溶液)といったところですが、発見者本人は生命の神秘を解明したと信じていて、やはりブ厚い研究書を出版しています。
直接知り合ったわけではありませんが、「ホーキング宇宙論の大ウソ」(徳間書店)という本を書いたコンノケンイチ氏も、アマチュアのマッドサイエンティストと言ってもよい人物です。 最近、「アインシュタインの相対性理論は間違っていた」(窪田登司著、徳間書店)という本が話題になりましたが、「ホーキング宇宙論の大ウソ」もそれと同類の本です。(ホーキングの本を出版した早川書房をライバル視しているせいか、徳間書店はこういうキワモノを得意としています。(^^;)) この本でコンノ氏は突飛な重力理論を考案することによってビッグバン宇宙論を否定し、奇想天外な無限宇宙論を展開しています。 普通の常識人がこの本を最後まで真面目に読み通すことは少々難しいかもしれませんが、「世の中にはこんなおかしなことを考える人もいるんだなぁ!」という人間的な意味で興味深い本ですから、暇を持て余している人はパラパラと読んでみてください。
マッドサイエンティストの研究することは、近代科学的見地からすればほとんどが「擬似科学」または「似非(エセ)科学」に類するものです。 でも子供のようにむき出しの好奇心、常識に縛られない突飛な発想という点で、科学の素朴な根っこのようなものを強く感じさせてくれます。 いつかまた、奇抜なマッドサイエンティストと知り合いたいものです。
本多猪四郎監督のSF映画「ゴジラ」で、若き天才科学者・芹澤博士が発明した水中酸素破壊剤。 この薬品は酸素の研究中に偶然発見されたもので、水中の酸素を一瞬にして破壊しつくし、水中生物を窒息死させたうえ、その細胞を液化してしまうという恐るべき作用を持っています。 その作用原理や製法は芹澤博士の死と共に永遠に失われてしまったと思われていましたが、近年になり、押井守監督のOVA「機動警察パトレイバー・4億5千万年の罠」で、特車2課の誇る天才的技術者・シバシゲオがドライアイスを原料として再発明し、SFファンを狂喜させました。
「ゴジラ」のラストシーンで、ゴジラはオキシジェン・デストロイヤーによって分解され、あえなく海の藻屑となってしまったはずなのに、「ゴジラの逆襲」で復活し、今なお元気に活躍を続けています。 海の藻屑と化したはずのゴジラがどのようにして復活したかは、現代科学でも解明することのできない永遠の謎でしょう。
18世紀に、オーストリア生まれのフランツ・アントン・メスメル医師が行った独特の治療法で、彼自身が唱えた「動物磁気理論」に基づいています。 動物磁気理論とは「全ての生物は体の中に色も匂いもない磁気流体を持っていて、その流体の運動は生物の健康と成長に深い関係を持っている。 そしてその流体は太陽と月と惑星の運動の影響を受けている」というもので、「天体の運動が地球上の全ての生物の運命を司っている」という大昔からある迷信を、磁気とか電気とかいった近代的な言葉で言い替えたものです。
メスメルによれば、生体内で磁気流体の平衡がうまく保たれていると健康になり、平衡が崩れると病気になる、さらに磁気流体は生物の体に自由に出入りでき、光のようにレンズを使って集めたり、何かに蓄えておくこともできるということで、自分(メスメル)の体には磁気流体がいっぱい詰まっているから、それを病人の体に流し込むことによって、病気を治療することができると主張したのです。
メスメルは1778年にパリに行き、そこで動物磁気理論を応用した診療所を開きます。 治療に来た患者は、まず大きくて贅沢な装飾をした部屋に案内されます。 その部屋は窓に厚いカーテンがかかっていて、床に厚い絨毯が敷かれているため、ぼんやりと薄暗く、人が動き回っても足音がしません。 部屋の中央には大きな楕円形の木の桶が置かれていて、その中に水と砕いたガラスと鉄の削りくずが詰まっています。 桶には木の蓋がしてあり、その蓋のふちにそってたくさんの穴が開いています。 そしてその穴には鉄の棒がさしこまれ、その下にガラス瓶が置いてあります。
患者は助手に導かれてその鉄棒を握り、じっと立って待ちます。 やがてどこからともなく神秘的な音楽が流れてきて、香の香りが漂い始め、メスメル博士が長い絹の礼服を着込み、鉄の杖を持って現れます。 彼は患者ひとりひとりの前で立ち止まり、じっと目を見ながら病状を尋ね、杖で患部に触れて「治療」を加えていきます。 彼の杖に触れられた患者の多くはしびれを感じたり、けいれんを起こしたり、笑ったり泣いたり絶叫したりと、激しい心身の反応を起こします。 そして、この治療によって病気が治ったと言い張るのです。
メスメルの治療法は大評判となり、彼はパリの上流社会で大変な人気者になります。 しかし当時の医学界では賛否両論の嵐が巻き起こり、多くの医者がメスメリズムをめぐって議論を戦わせました。 そして1784年、ついにフランス国王ルイ16世の命により、メスメリズムを科学的に調査するための委員会が組織され、委員長にはイギリスから独立を勝ち取ったばかりのアメリカ植民地の代表、ベンジャミン・フランクリンが任命されます。 当時、たまたまフランスに滞在していたフランリンは、凧による雷の実験でも有名なように、電気と磁気専門の科学者としても世界的に名を知られていて、動物磁気の調査委員会を指導するのにうってつけの人物だったのです。
詳しい調査と実験の結果、メスメリズムの効果は患者が動物磁気の存在を信じている時だけ現れ、それ以外では現れないことが明らかになりました。 例えば患者に目隠しをして、メスメルが磁気を帯びさせたと主張する杖で触れた場合、「磁気を帯びた杖を使う」と宣言してから触れると、それが本物の杖ではなく、どんなものでも患者は反応しましたし、「普通の杖を使う」と宣言してから触れると、たとえ本物の杖を使っても患者は全く反応しませんでした。 それらの調査結果から、委員会は「動物磁気の存在を裏付ける証拠はひとつもなく、メスメリズムは有益な効果を持たない。 治療を受けた患者に観察された効果は、主として想像上の興奮によるものである」との結論に達し、メスメリズムを公式に否定しました。
その後、20世紀になり、メスメリズムに近代科学の光が当てられます。 その結果、メスメリズムの本質は自己暗示と催眠現象に他ならず、メスメルはそれと気付かずに現代医学で言う「プラセボ効果」と「催眠療法」を行っていたことが明らかになりました。 プラセボ効果と催眠療法は近代科学によって確立された理論で、精神神経医学分野を始め色々な医学分野で日常的に応用されています。
メスメルについてはとんでもないペテン師であったという説と、理論は間違っていたが真面目な医者であったという説とがあり、一般には前者の説の方が有力と思われています。 しかしながらマッドサイエンティスト愛好家の僕としては、多少山師的な傾向も持っていたものの、彼は本質的にはマッドサイエンティストに他ならなかったと考えたいところです。
ちなみに当時の調査委員会によって否定され、近代科学によって本質が解明されたメスメリズムですが、例によって大衆の間ではその後も廃ることなく生き延びます。 メスメルのすぐ後には、彼の影響を受けたアメリカのエライシャ・パーキンズ博士が「動物電気理論」を唱え、それを応用した「トラクター治療器」によって大儲けをします。 また20世紀になると、メスメルと同じオーストリア生まれのウィルヘルム・ライヒ博士が、動物磁気の影響を受けたと思われる「オルゴン理論」を提唱し、それを応用した「オルゴン・エネルギー蓄積器」を発明して病人の治療を行います。
そして現代の日本でも、気功術や磁気リングや水晶ネックレスやホメオパシーなど、本質的にメスメリズムと同じ原理の色々な民間療法が相変わらず次々と流行を繰り返しているのです。
オーストリア生まれの精神科医兼マッドサイエンティスト、ウィルヘルム・ライヒが提唱した、超自然的生命エネルギー「オルゴン・エネルギー」に関する理論です。
若かりし頃のライヒはフロイト学派に属する精神分析医で、フロイトの伝統にのっとり、性衝動(リビドー)、特にオルガスムを中心にすえた精神分析の分野で卓抜した研究をしていました。 ところが1930年代の末、性的エネルギーの研究に関連して、「オルゴン・エネルギー」の存在を発見した(と思い込んだ)ことから彼の人生は大きく転回します。 彼はこの発見をコペルニクス革命に匹敵するほど重要なものと考え、それ以後は自分を精神科医というよりも、生物物理学者とみなすようになります。 そして思う存分研究に打ち込むために、反対者の多かったヨーロッパから逃れ、自由の国アメリカに移住します。
ライヒによれば、オルゴン・エネルギーとは自然界のあらゆるものに浸透している非電磁的な力で、生命力の基礎となるエネルギーです。 それは青い色をしていて、空や海の青さは青い光の乱反射によるものではなく、オルゴンのせいだということです。
人間ではオルゴンは性エネルギーの元となっていて、それはフロイトの言うイド(無意識領域での精神活動)が性エネルギー的な実体となったものと考えられます。 またそれは性交の最中には性器に集中し、オルガスムと共にまた全身に流れ戻ります。 さらにオルゴンは呼吸によって赤血球に充電され、生命力の源となります。 ライヒはオルゴンを吸収すると赤血球が青くかすかに光る現象を、顕微鏡によって観察したと主張しています。 また詳しい原理の説明はありませんが、オルゴン・エネルギーをガイガー計数管で測定したとも言っています。
1940年代になると、彼はオルゴンを利用した医学的治療箱「オルゴン・エネルギー蓄積器」を発明し、医療事業に乗り出します。 それは内側には鉄板を、外側には有機材料を張った電話ボックスのようなもので、その中に入ってじっと座っているとオルゴンを吸収することができ、色々な病気に効果があると彼は主張しています。
当然のことながら、オルゴン理論はまともな学界からは無視され、良心的な科学者から反論されましたが、ライヒは彼らを辛辣に批評し、反論の反論としてオルゴン理論をますます壮大なものにしていきました。 彼によれば万有引力と原子力の根本原理、物質と大宇宙の起源、空間と時間の秘密など、ありとあらゆる自然現象をオルゴン理論によって説明することが可能となります。 そしてその著書「聞け小人よ!」の中で、世の中の”小人たち”に何と言われようと、「私はお前に生命と宇宙的本性の無限に広大な分野の秘密を暴いて見せた。 これが私の偉大なお返しだ!」と叫んでいます。
1950年代になって、ついにFDA(アメリカ食品医薬局、日本の厚生省に相当)がオルゴン蓄積器の調査に乗り出します。 FDAの依頼を受けた専門の科学者達が慎重に厳密な試験をした結果、「オルゴン・エネルギーなるものは存在せず、同器は医療上有害無益」との結論が得られ、ライヒは連邦裁判所に逮捕されてしまいます。
オルゴン理論は典型的な疑似科学で、ライヒは典型的なマッドサイエンティストと言えます。 マッドサイエンティストには多かれ少なかれパラノイア(偏執狂)の傾向があり、次のような特徴を持っています。
以前はニュートンと万有引力の法則が最高の標的でしたが、 現在はアインシュタインと相対性理論がそれに代わっています。
これは精神分裂症患者の「ネオロギズム(新語。 患者にとってしか意味のない、チンプンカンプンな造語)」と呼ばれる症状と似たところがあります。
マッドサイエンティストは似非科学者や本物のペテン師とは違って、本質的には好奇心に溢れた誠実な人間であり、他人に迷惑さえかけなければ、本来は愛すべき人々です。 ライヒも、オルゴン蓄積器などを作って医療事業に乗り出しさえしなければ告発されることもなかっただろうにと、少々気の毒な気がします。 時代的に考えて無理なことはわかっていますが、彼がプラセボ効果というものを知らなかったのは本当に残念なことです。
1847年の暮れ、アメリカのニューヨーク郊外のハイズビルという寒村に、フォックスという一家が引っ越してきました。 フォックス家には3人の娘がいて、長女はレアといい、既に結婚してニューヨークに住んでおり、次女のマーガレットと末娘のケティが両親と一緒に暮らしていました。
一家が新しい家に住むようになってから、その家では奇妙な事件が起こり始めました。 夜になると、まるで木でもたたいているような虚ろな物音がするのです。 そのうちに2人の姉妹が「自分達が声をかけると、虚ろな音が返事をする!」と言い出しました。 驚いた両親が娘達に実演させますと、確かに娘達の呼びかけに対して返事をするように虚ろな音が響き、色々な質問に対して「はい(音ひとつ)」と「いいえ(音ふたつ)」で答えたのです。 信心深い両親は、この家は幽霊にたたられていて、娘達はその幽霊と交信できるに違いないと考えました。
やがて、その姉妹には死者の霊と交信する能力があるという噂が村中に広がります。 そのうちにニューヨークにいた長女レアが、妹達の能力を金儲けに利用することを思いつきました。 そして妹達をニューヨークに呼び寄せ、見物客を集めて、暗闇の中で霊との交信会を行ったのです。 彼女達の降霊会は大評判となり、フォックス姉妹のマネをする商売人達が続々と現れ、降霊会はものすごい勢いでアメリカ中に広がり始めます。 そして降霊現象を死者の霊が存在する証拠と考え、虚ろな音を「ラップ(鼓音)現象」と名付けて、まことしやかな学説を展開する科学者達も現れます。
これが19世紀の後半に世界的なブームを巻き起こした「降霊会」と、「心霊主義(または心霊術)」のそもそもの始まりです。 心霊主義は本家本元のアメリカと、こういったことが大好きなイギリスで最も流行し、1882年にはイギリス心霊研究協会(The British Society for Psychical Research、略称SPR)が設立され、ベルグソン、クルックス、ドリーシュなどといった、当時の一流科学者達が会長を歴任します。
もちろん、フォックス姉妹の降霊会を疑惑の目で見た人々も当時から存在しました。 1851年にはバッファロー薬科大学がフォックス姉妹の調査に乗り出し、ラップ現象の正体は、2人の姉妹が足の関節を鳴らすことによって作り出したイカサマだと報告します。 しかし超常現象を信じる人々はその程度のことではまったくめげず、その報告を信用しないばかりか、かえって小さな子供にすぎないフォックス姉妹を陥れる陰謀だと吹聴し、ブームはますます広がる一方でした。
その後、降霊会を始めてから40年後の1888年、フォックス姉妹の姉マーガレットはついに良心の呵責に耐えかね、自分の犯した罪の懺悔を始めます。 まず最初に彼女は、ニューヨークの新聞に「自分達姉妹がやってきたことは全てイカサマであり、ラップ現象は、バッファロー薬科大学の調査結果どおり、足の関節を鳴らすことによって起こしていた」との告白文を投稿します。 さらに彼女は多くの聴衆を集めて自らのイカサマを暴露するという、奇妙な講演会を開きます。 彼女の告白によれば、最初は単なる子供のイタズラで始めたものが、あれよあれよという間に大事になり、一家の金儲けもからんで止めるに止められなくなっていたとのことでした。
しかし大衆心理というものは実に不思議なもので、マーガレットの告白の後でも心霊現象を信じる人はいっこうに減りませんでした。 それどころか彼女の告白さえ一時的な気の迷いだと考えて、彼女達を擁護する人々が大勢いたのです。
こうして多愛のない子供のイタズラで始まった心霊主義は、フォックス姉妹が開発したスタイルを継承しつつ、多くの商売上手な人達によってより洗練されながら、その後も廃れることなく存続し、21世紀の現代でも相変わらず世間を騒がせ続けています。
20世紀の前半にドイツのルドルフ・シュタイナーが唱えた理論で、精神修養によって霊界を認識できるというものです。 人知論者は地球を本当の生物とみなし、土は、比喩的な意味ではなく文字どおり生きていて、1日に2回呼吸をしていると考えます。 彼等は「エーテル力」を呼吸し、「霊体」を強めたある種の薬を土に加えることによって、それをより「活力的」にすることができると信じています。 その神秘的な薬は極度に濃度を薄めても──事実上、成分物質が残っていないくらい薄めてもその効果を維持するため、通常の物質的な化学反応に基づくものではない、と彼等は主張しています。
シュタイナーの協力者としては、エーレンフリート・プファイファー博士が有名です。 彼はミュンヘンで生まれ、スイスのドルナハにある人知論者の研究センターである「生科学研究所」の所長と、オランダのロヴェレンダールにある人知論者の実験農園の園長を務めていました。 しかし1940年にナチスがオランダを占領すると、家族と共にアメリカに逃れ、ペンシルバニア州にモデル農場を造ります。
ここで彼は、彼自身最も重大な発明と考える「驚異の細菌混合物」を発明します。 それは各種の細菌を組み合わせた特殊な混合物(正確な処方は高度の秘密とされています)で、普通の台所のゴミ1トンにつきこれを大さじ1杯加えるだけで、1週間もすればゴミは臭いの無い優良な有機肥料に変わるということです。 さらに、その有機肥料で育てた野菜は普通の肥料で育てたものよりも25%も重量が多く、ビタミンAも3倍多く含まれているし、穀物の蛋白質も増えると主張しています。 プファイファー博士によれば、この「驚異の細菌混合物」は砂地を豊かな農地に変えることができるため、人類の未来にとって革命的な発明だということです。
しかし「驚異の細菌混合物」によらなくても、普通の台所のゴミを土に埋めておくだけで、土中の細菌によって優良な有機肥料に変わることは農学分野では周知の事実です。 またプファイファー博士達の行った実験の詳細が不確かなため、人知論者以外の農学者は重量やビタミンAや蛋白質が大幅に増える実験の追試に成功していませんし、「驚異の細菌混合物」によって砂地が豊かな農地に変わったという事実もありません。
それにもかかわらず、他の疑似科学と同様、プファイファー博士の「驚異の細菌混合物」と同類の物は思い出したように”発明”され続け、現代の日本でも比嘉照夫博士の「驚異のEM農法」などに脈々と受け継がれています。