玄関小説とエッセイの部屋小説コーナー僕達の青春ドラマ

夕食後、僕と伴ちゃんとミミちゃんが僕の部屋で話し合っていると、雪子さんが中川さんを連れてこっそりとやって来た。 中川さんが昨夜の耕平氏との話し合いのことで、僕等にお礼を言いたいとのことだったんだ。 中川さんは快活そうに振るまっていたけど、絵の盗難についてものすごく責任を感じていることは、快活そうなうわべを裏切る疲れ切ったような目の色からも、それと知ることができた。

「せっかく君達が社長を説得してくれたってのに、こんなことになってしまって、本当に申しわけない。 この事件が解決するまで、僕等のことはしばらくお預けにしなければならないと思うんだ」

と言って僕等にまで頭を下げたもんだから、こっちが恐縮してしまった。

「秀昭さんったら、このまま絵が見つからないんだったら、責任取って会社を辞めるなんて言い出すのよ」

雪子さんは今にも泣き出しそうな表情だ。

「えっ!? そんな、何もそこまでしなくても……」

とは言ったものの、責任感の強い中川さんにしてみれば無理もない考えだという気がして、僕もそれ以上の言葉は続けられなかった。

「うん、でもまあ仕方ないさ。僕は、ここに絵の管理者として来たんだからね。 それに、会社を辞めることと雪ちゃんとのことは、また別の問題だから」

と言って、中川さんは遠くを見るような目をした。

「それに、違う会社に勤めた方が、かえってすっきりしていいのかもしれないしね」
「そんな、秀昭さん……」

雪子さんは悲しげな色をたたえた目で、すがるように中川さんの視線を追った。

「ま、それはそれとして、今は、とにかくこの事件を解決することが先でしょ」

と、ミミちゃんがきっぱりした口調で、

「ね、中川さん、あたし達、何でもいーからお手伝いしたいんです。 もし差し支えなかったら、詳しいこと話してくれません?」

実は、雪子さんや中川さんには悪い気がするんだけど、僕等は浮世絵盗難事件の詳しい話が聞きたくてウズウズしていたんだ。 僕は昔から探偵小説のファンなもんで、40枚もの絵が消え失せたなんて謎にゾクゾクするような興味を持っていたし、ミミちゃんもかなり探偵小説を読んだことがあるらしく、僕同様好奇心を刺激されていた。 伴ちゃんだけは人間界の謎よりも大自然の謎を解明する方が性に合っていて、探偵小説のたぐいはまるで読んだことがなく──と言うより、彼の場合どんな小説もほとんど読んだことがないんだ──不思議な謎にもあまり興味なさそうだったけど、中川さんのために少しでも力になるならと、さっきから一緒に考えていたんだ。

「実は、僕も君達の知恵を借りたくて、このことを話し合ってみたいと思っていたんだよ。 じゃあ、みんなで何とかこの謎を解明してみるとしますか?」

中川さんの口調には、第三者的などこか楽しげなところがあった。 自分が関係しているとはいえ、ひょっとしたら彼もこの不思議な謎に興味を持っているのかもしれない。

「雪子さん、この別荘の見取り図みたいなもん書けます?」

僕はこの別荘の間取りを頭に入れておきたくて、雪子さんに尋ねてみた。

「ええ、だいたいなら……」
「じゃあ、まず最初にこのメモ用紙にちょっと書いてみてくれません? どーも、部屋の間取りなんかがよくわかんなくて……」
「いいですよ。 ええと、一階はこうなってて……」

と説明しながら、雪子さんは僕が渡したメモ用紙に次のような見取り図を描いた。

持田家別荘の見取り図
持田家別荘周辺の概略図

「ついでに、別荘の周辺の地図も書いてよ、雪ちゃん」

メモ用紙を覗き込みながらミミちゃんも注文を出したので、雪子さんはその注文にも快く応じて、続けて左図のような地図も描いてくれた。

「うん、これがあればわかりやすいね。 ……じゃあ、中川さん、絵が盗まれてるのを発見した時の様子は、どんなだったんですか?」

まず僕が最初の質問をした。 何しろ、今朝6時頃、中川さんと女中の白石さんが盗難を発見したとしか聞かされていないんだ。

「うん、それはね、こんな具合だったんだ。 僕は、お客のために色々と準備をしておきたくて、夕べ白石さんに、今朝は6時頃に起こして欲しいと頼んでおいたんだよ」
「白石さんはいつもは7時頃、別荘の掃除をするんですけど、今朝は秀昭さんに頼まれていましたから、6時頃秀昭さんを起こして、ついでに掃除も済ませてしまおうとしたらしいんですよ」

雪子さんがそう説明を付け加えた。 中川さんも昨日別荘に来たばかりだから、別荘の日常についてはあまり詳しくないんだ。

「それで、絵が盗まれてることを発見したんですね?」
「ええ。 でも、本当はもう少し複雑なんですよ。 白石さんが掃除するのは、朝はホールと展覧室と廊下や階段だけで、その他の部屋は、普通はそこの住人に許可を取ってから、適当な時間にやるようにしているんです」
「そー言えば、昨日、あたし達の部屋は、みんなで泳ぎに行ってる間に掃除してもらったんだったわね」

とミミちゃんが僕と伴ちゃんの顔を見たので、僕等もうなずいた。 それから話をうながすために中川さんの方を向くと、彼はまた説明を続けた。

「管理室と書斎は、普段は社長の許可を取って、昼過ぎに掃除していたということなんだが、今朝は、白石さんが展覧室を掃除している時に、書斎のドアの下から、紙切れのような物がはみ出しているのに気づいたらしいんだな」
「紙切れのような物?」
「うん。 それで何気なくドアを開けてみると、部屋の中は荒らされているし、東側の窓は壊されているし、すぐにドロボウだとわかって、僕に知らせてくれたんだ」
「書斎に、カギかかってなかったんですか?」

僕の質問に、中川さんの代わりに雪子さんが答えてくれた。

「そうなんです。 もちろん、どの部屋もカギは付いてるんですけど、ここでは人が寝る部屋しかカギは掛けないことにしてるんですよ。 そのかわり、この建物への出入り口には頑丈なカギを掛けているんです」

普通は家族しかいないんだし、客だって信用できる人ばかり招くんだろうから、それは当然と言えば当然のことかもしれない。

「で、その紙切れのような物って、何だったんですか?」
「社長の机の上にあった書類が、風でドアのところまで飛んできたらしいんだよ。 窓のガラスが大きく割られていて、そこから風が吹き込んだらしいんだな」

と、今度はまた中川さんが答えた。

「なるほど」
「それで僕は書斎の中をグルッと見回して、手さげ金庫がこじ開けられているのに気づいたから、中を覗いてみたら、やはりあの浮世絵がなくなっているだろう? 大急ぎで社長に知らせるように白石さんに頼んでから、壊された窓から外を眺めてみると、地面はぬかるんでいるのに、どういうわけかドロボウの足跡らしきものは見当たらなかったんだよ」
「窓はどんなふうに壊されてたんですか?」
「カギの横のガラスがガラス切りで丸く切り取られていて、カギが開けられていたんだ。 ドロボウが良くやる手口なんだが、おかしなことに、それに使ったらしいガラス切りが、別荘の外の、その窓の下あたりに落ちていたのが警察によって発見されているんだよ。 ま、これだけじゃあ何とも言えないが、商売道具を落としていくなんて、プロのしわざじゃないと思うね、あれは」
「じゃあ、やっぱり内部の者の犯行で、窓を割ったのは偽装なんでしょうかねえ……」

あまり認めたくないことだから、そう言った僕の言葉は半ば独言だった。

「……ん、その可能性が高いが、ただ、窓を割っておいたくせに、どうして足跡をつけておかなかったのかがわからないんだよ。 だって、少し考えればすぐわかることなのになあ」

それは中川さんの言うとおりだった。 窓を割るぐらいなら、足跡だってつけておいても不思議はないわけだ。 すると、横から雪子さんがなかなかもっともな意見を言った。

「でも秀昭さん、足跡をつけるためには、窓から出て行って、一旦この建物から遠くまで、例えば堤防とか南の道路くらいまで歩いて行って、それからまた戻ってこなきゃならないでしょ? そんなことをするのは、やっぱり危険じゃないの?」
「そう、確かに危険だろうね。 でも窓ガラスを切ったり、金庫をこじ開けたりするのだってけっこう危険な仕事だぜ。 それに、すぐに内部の者の犯だってわかってしまう方がもっと危険だよ、もし本当に内部の者の犯行ならね」

中川さんの答も充分納得できる意見だ。 僕はわけがわからずにしばらく考え込んだけど、すぐには良い考えも浮かばなかったので、とりあえず質問を続けた。

「それで、中川さん、あの浮世絵以外に盗られた物はなかったんですか?」
「うん、部屋中があちこち荒らされてはいたんだが、あの部屋で金目の物といったらあの絵だけだし、手さげ金庫以外には、金目の物が入っていそうな所はないからね」
「あの浮世絵って、どれくらいの価値があるもんなんです?」
「そう……、だいたい、時価数千万から数億ってとこかな……」
「ひぇーっ! あ、あんなもんがァ……!?」
「うん、まだ正式な評価額は鑑定されていないんだが、何しろ貴重な作品であることは確実で、社長がフランスから買った時には、それぐらいの金額を支払ったようなんだよ」
「ヘェー、あんな紙切れがですか、ハァー……」

何気なく尋ねた質問の返事があまりにも意外だったので、僕も伴ちゃんも開いた口がふさがらなかった。 ミミちゃんも驚いたようだったけど、彼女はそういった物の値段について僕等よりもよく知っているらしく、それほど意外そうではない表情だ。 ま、僕や伴ちゃんみたいな庶民には、数千万なんて金よりも、数千円の方がよっぽど「高い」という実感がわくんだ。 何しろ数千円あれば、学生食堂で食べきれないほど豪勢な食事をすることができるもんね。

「ここの展覧室にある絵を全部合わせれば、おそらく数十億にはなると思うよ。 これだけでも大した財産だな、実際」
「数十億……! フッヘェー、すごいんだな、雪子さんとこって……」
「関係ないですよ、そんなの。 ……それより、秀昭さん、手さげ金庫はどんなふうに壊されてたの?」

雪子さんがあっさりと話題を戻してしまった。 家の財産とか父親の仕事とかいったものは、彼女にとって、あるいは負担にしかならないものなのかもしれない。

「うん、金庫はね、ドライバーのようなもので止め金の部分が壊されていて、蓋がこじ開けられていたんだ。 中はすっからかんだったが、ドロボウのやつ、かなりあわてていたらしくて、浮世絵が3枚ぐらい床にちらばって残ってたな」
「浮世絵が? それって、何か、特別価値がないようなものだったの?」
「いいや、社長の話では、何ら特別なもんでもないらしいよ。 部屋の荒らし方も乱雑で、ドロボウはかなりあわてていたようだから、そのせいだとも思えるんだが……」

と言った中川さんの口調にひっかかりを感じて、僕は尋ねてみた。

「と言いますと、何か他の理由でも?」
「もし、もしだよ、犯人が内部の者だとしたら、窓を割ったのも偽装ということになるから、それくらい時間に余裕はあったわけだよね。 だから絵を2、3枚残していったのも、あわてていたわけじゃなくて、偽装工作の一部じゃないかという気がしてね」
「なるほど……、いかにも外から侵入して、あわててたように見せかけるためなんですね?」
「うん。 ただ、もしそうだとすると、足跡を付けなかった理由がますますわからなくなってしまうんだがね……」
「案外、そんなことまで気づかなかったんじゃないのォ、その犯人?」

と、ミミちゃんがあっさり言った。

「そりゃまー、ミミちゃんならそんなこともあるだろーけど、この場合はどーかなあ……」
「んまっ、友規君ったら! どーせ、あたしはドロボウには向いてませんよーだ!」

ミミちゃんは口をとがらせてすねて見せた。 そんな様子は本当にいたって普通の女の子で、かつての美少女スターらしく気取ったところはどこにもない。 中川さんはミミちゃんと知り合ってまだ間がないせいか、そんな彼女を少し意外そうな顔で見ながら言った。

「実は、僕もそうかもしれないって思う時もあるんだがね。 藤島刑事もその意見で、犯罪者ってのは、往々にして何でもないミスを犯すもんだと言ってたしね」
「ほらみなさい、けっこーそんなもんなのよ。 考え過ぎると、かえってこんがらがっちゃうのよねー」
「そーかなあ、そんなもんなのかなあ……」

なんだか割り切れない気持ちだったけど、この場は一応ミミちゃんの顔を立てることにして、次の質問に移った。

「で、中川さん、書斎の中に指紋とか足跡なんかはなかったんですか?」
「足跡はなかったが、指紋はそこら中にたくさんあったね。 でも、ほとんどがこの別荘の住人のもので、あそこにあっては変だと思われるような人のものはなかったようだね。 おそらく犯人は手袋をしていたらしく、窓の外に落ちていたガラス切りにも指紋はついてなかったしね」
「なるほど、じゃあ、そういった手掛りはないわけですね」
「ま、そういうことだね」

話がだんだん核心に近付いたので、ここでミミちゃんが顔を輝かせて中川さんに尋ねた。

「ふうーん、じゃ次は、いよいよあの浮世絵がどこいったか、ね。 警察じゃどー考えてんです、中川さん?」
「警察も少々お手上げの感じなんだよ、実は。 地面に跡をつけずにこの建物に出入りできるわけはないんだし、周囲の地面には全くそれらしい跡もないし、絶対にこの建物の中にあるはずなんだが、その道のプロが一日中捜しても、かけらも見つからないんだからねえ」
「何だか、ポーの『盗まれた手紙』みたいだね」

僕がそう言うと、ミミちゃんはその言葉を受けて冗談っぽく、

「あれといっしょで、ひょっとして、展覧室の絵ん中に隠してあったりしてねー」

しかし、中川さんはそれにも真面目に答えた。

「警察はそこも捜してみたんだよ。 社長の許しを得て、全ての絵を額からはずし、中も外も詳しく調べてみたんだが、やっぱり見つからなかったのさ」
「へえー、おんなしよーなこと考える人もいるのねー、警察にも」

とミミちゃんは感心した様子なので、僕はもっともらしい顔をして言ってやった。

「どこにだって物好きはいるもんさ、ミミちゃんみたいに」
「んまっ! 誰が物好きですってェ!?」
「えーとォ……」と、僕はあわてて話題をそらし、「それで、最後にあの浮世絵を見たのはいつだったんですか?」
「夕べの11時頃らしい。 君達が社長とやりあったのが10時少し前から10時半頃までで、その後、社長は書類の整理をして、書斎を出たのが11時頃なんだ。 僕は、夕べパーティーの後片づけを手伝っていて、ずっとホールにいたんだが、11時頃、社長が二階に行く前に、今日の予定について少し指示をしていったからね」
「じゃあ、僕等が持田さんと話し合ってる時、中川さんは管理室にはいなかったんですか?」

管理室は書斎の隣のため、あの時、僕等の声が中川さんに聞こえているんじゃないかと思って少々心配してたんだ、実は。

「そう、残念ながらね。 もっともこの建物の壁は相当厚くできているから、隣の部屋の音はあまり聞こえないがね。 それにしても、隣の部屋にいてドロボウに入られるなんて、我ながら情けなくて弁解もできないな……」

そう言った中川さんの声には、自嘲ぎみな響きがこもっていた。 そんな中川さんに、雪子さんは優しくなぐさめるように声をかけた。

「秀昭さんの責任じゃないわよ。 昨日は色々と大変だったんだし、夜も遅かったんでしょ?」
「それほど遅くもなかったんだ、夕べは。 パーティーの片づけが終わったのが11時ちょっと過ぎで、それから管理室に戻って、今日の準備をしてから寝たんだから、12時前にはもう寝てたんだぜ」
「じゃあ犯人は、夕べの12時から今朝の6時までの間に書斎に侵入したことになりますね」

大して重要な事ではないと思いながらも、はっきりさせたくて僕は言ってみた。

「そう、まあ、あんなくらいのことなら30分から1時間あればできるだろうから、犯人にとっては充分すぎるほどの時間があったことになるね」
「じゃあいよいよミミちゃんお待ちかねの、浮世絵がどこいったかなんだけど、警察があれだけ捜しても見つからないんだから、やっぱりこの別荘にはもうないと考えるべきなのかなあ」
「それは、まだわかんないわよ。 いっくら警察だって、見落としってもんがあるかもしんないじゃない」
「じゃ、例えばどんなとこがある、ミミちゃん?」
「……んーと、そーねえ、例えば、床下とか天井裏なんかは……」
「当然、捜したね、もう。 この別荘の青写真を借りて、それらしい所は全て捜したからね」

と、中川さんがあっさり否定してしまった。

「でしょーねえ、そんなとこ、すぐ思いつきますもんね。 ……じゃ、ベッドとかソファーん中なんかは?」
「捜してましたよ、こんな細い針のようなもので探り入れてね」
「じゃ、壁とか柱とかも?」
「うん、上からコツコツたたいてね。 あれだけの量の絵を隠すには、かなり大きな空間を必要とするだろうから、反響でわかるらしいんだな」
「じゃ……、えーと、んーと……、ほらっ、ポケーッとしてないで、友規君もちったあ考えなさいよ!」

ミミちゃん、思いつくそばから言下に否定されるもんだから、僕にやつ当りを始めた。 でも、その天衣無縫なところがまた憎めないんだ。

「そ、そんなこと言ったって、僕は、最初っからここにはないんだろうって……」
「雪ちゃん、この建物に、何か秘密の隠し場所みたいなもんないの?」
「秘密の隠し場所……!? まるで忍者屋敷ね」と雪子さんはあきれたように、「あたしの知ってる限りじゃ、そんなものどこにもないわよ」
「ははは、こーなると、もーほとんど焼けクソだね、ミミちゃん」

僕がからかうと、ミミちゃんは大げさにびっくりしたような表情を作り、

「まあ、レディーの前でなんて言葉使うのよ、友規君ったら! 焼けクソだなんて……」

などと言いながら、ミミちゃんは少しも恥ずかしがる様子はない。 かえって、横で聞いてた雪子さんが顔を赤らめている。

「ヘー、そーですか、レディーですか。 じゃーお嬢様、それ以外にどこかお隠しになる場所がおありでしょーか?」
「はっきり言いまして、もー思いつきませんのよ、あたくし。 ほんと、お手上げでござぁますわ、オホホホホ……」

わざとらしく笑うと、ミミちゃんはまた真顔になって質問した。

「じゃ聞くけど、この別荘にないんだったら、一体どーやって、どこに持ち出したんだと思う、犯人は?」
「んーと、例えば電線を伝わって、地面に跡を残さずに出入りするなんてのはどーだい?」
「電線を!? そんな、まさかサーカスじゃあるまいし……」
「これも警察が調べたんだけどね……」

僕等のやりとりがおかしいのか、中川さんはニヤニヤ笑いながら、

「この建物につながっている電線は、普通の人間がぶら下がれるほどの太さはあるんだがね、それを止めているガイシの部分がそれほど強くはないらしいんだな。 それと、電線は屋根から出ているんだが、この建物には屋根裏部屋がないから、中から屋根に出る方法はなくて、どうしても外から壁かなんかをよじ登らなけりゃならないのさ」
「はー、さすがは警察、僕等の考えつくことぐらい、とっくに調べちゃってるんですねー」
「まあ、一応プロだからね、彼等も」
「確か、堤防の近くに松の木生えてたわよね? あれにロープかなんか結び付けて、こう、ターザンみたいにさ……」

と自分で言い出しておきながら、ミミちゃんはすぐにシュンとしてしまった。

「やっぱ、無理でしょーねー、そんなの……」
「そう無理でもないよ、それ!」

急にいい考えが浮かんだので、僕は勢い込んで言った。

「ターザンみたいにしなくても、松の木の上に誰かいてね、重りのついたロープを書斎の窓目がけて投げるんだよ。 書斎に別の共犯者がいて、それを受け取り、絵を結び付けて絵だけ取ってくってのはどうだい?」
「でも、一番近い松の木でもここから20メートルくらいは離れてますよ。 絵を結び付けたロープを引っぱれば、どうしても途中に何かを引きずった跡が残るんじゃないかしら?」

雪子さんの反論に、僕の勢いはいっぺんにしぼんでしまった。

「そーかあ、そー言われればそーですねえ……。 そんな跡なんか、当然、なかったんでしょうね、中川さん?」
「なかったね。 とにかく地面はぬかるんでいて、ちょうど処女雪みたいな状態だったんだからね」
「ねー、ねー、松の木じゃなくって、ヘリコプターかなんかならどう? 空中に止まっててロープ降ろすわけよ、こう、スーッと……」

と言いながら、ミミちゃんは手を頭の上から下に向かってスーッと下げていった。

「なーるほど、それなら跡つかんね。 ウン、いーかもしれんよ、それ!」
「でもねミミちゃん、それだとすごい音がしたはずよ。 ヘリコプターって、ものすごい音がするんですもの」

雪子さんの反論に、またしても僕とミミちゃんはしぼんでしまった。

「何か、消音ヘリコプターみたいなもんないの? 伴ちゃん、知らない?」

伴ちゃんは申し訳なさそうに首を振った。 例によって、彼はさっきから一言も口をきかず、ポケーッとしてみんなの話を聞いているばかりだ。

「でもね、音は別として、どうしてそんな突飛なことをする必要があったんだろうね。 もし共犯者がいたんなら、堂々と歩いて別荘まで絵を受け取りに来たっていいだろう? そうすればちゃんと足跡もつくし、内部の共犯者にとっても、その方が有利になるわけだからね」

と、今度は中川さんが僕等に質問した。

「足跡みたいな不利な証拠は、できるだけ残したくなかったんじゃ……」

とは言ったものの、我ながら説得力のない理屈だった。 それにひきかえ、中川さんの返事は説得力に富んでいた。

「足跡なんかからじゃあ、そうたいしたことはわからないさ。 もし内部の者の足跡なら、確かに不利な証拠となるかもしれないがね」

僕等はすっかり考え込んでしまった。 中にもなくて、外へも持ち出せないとなると、一体どこにあるというんだろう?

「もし燃やしちゃっても、灰残るでしょーし、だいち、燃やしちゃったりしたら、何の得にもなんないもんねー」

と、ミミちゃん。どうも彼女は、可愛い顔に似合わず乱暴な推理が多い。

「その可能性も一応調べたんだよ、警察は。 別荘中くまなく捜したんだが、絵を燃やしたような灰も、ススさえも残っていなかったんだ」
「台所にも?」
「そう。 ここの台所はガスを使っているから、灰もススもほとんど出ないんだよ。 それにコックの大野さんが、いつも台所をキチンと掃除しているから、変なものがあればすぐにわかるのさ」
「それじゃあ、切りきざんでトイレに流したってのは? もちろん、これだって何の得にもならんのはわかってんですけど……」

と、僕も言ってみた。 ミミちゃんに影響されてしまったのか、我ながら乱暴な推理ではある。

「驚くかもしれないけど、それも調べたんだよ」
「えーっ! ど、どうやって……!?」
「ここのトイレは一応水洗なんだが、ここらあたりは下水が整備されていないので、流した物を、一旦、地下に埋めてある浄化槽に溜めておいて、そこで細菌によって分解して、きれいな水にしてから水路に排水するしくみになっているんだ。 だから、あの絵の台紙のように厚い紙は、まだ分解されずに浄化槽に残ってるはずなんだよ。 そこで浄化槽を調べてみたんだが、そんなもののかけらもなかったってわけなのさ」
「ヘェーッ! おっどろいたァー、すっごいことまですんのね、警察って」
「けっこう大変なんだね、警察も」

警察の徹底した捜し方には、ミミちゃんも僕も今さらながら驚いてしまった。

「でも、これで、いよいよわかんなくなっちゃったわね、浮世絵の行方が」
「うん……」

僕等は、もうすっかりお手上げの感じだった。

「秀昭さん、何かいい考えないの?」

雪子さんが期待のこもった目で中川さんを見ると、中川さんは肩をすくめて、情けなさそうな顔をしながら答えた。

「正直言って、皆目見当もつかないんだ。 こうしてみんなで話し合えば、何かいい考えでも浮かぶんじゃないかと思ったんだが、今のところ五里霧中だな、僕は」
「どーもすいません、お役に立てなくて……」
「とんでもない! 君達の意見は色々と参考になりましたよ。 ただ、僕の頭が悪いから、いい考えが浮かばないだけなのさ」

「伴ちゃん、さっきから一言も口きかないけど、何かいー考えないの?」

今度は、ミミちゃんが伴ちゃんに期待のこもった目を向けた。

「伴ちゃん、科学の天才なんだから、こーゆーの得意なんじゃない?」
「え? そ、そんなことないよ。 ……ただ、ちょっとしたこと、思いつくには、思いついたんだけど……」
「何、それ?」
「うん、そう大したことじゃないんだけど……」
「大したことじゃなくっても、大したことでも、とにかく何でもいーから言ってみて」
「う、うん……、ただね、まだ、ちょっと完全じゃないとこあるし、どうしてだか、まるっきりわかんないとこもあるし……」

と、伴ちゃんはあまり自信がなさそうな表情だ。

「何よ、それ。 じれったいわねェ、もー!」

ミミちゃんのたまりかねたような視線を受けて、困った顔で頭をかいている伴ちゃんに、中川さんも追い打ちをかけた。

「四条君、完全じゃなくてもいいから、教えてくれないか? 何かのヒントになるかもしれないし」

中川さんは、最初の出会いで伴ちゃんの特殊能力を見せつけられたもんだから、伴ちゃんのことを大いに買っているようで、積極的な態度だった。

「もちろん、中川さんには、真先に話します。 でも、もう少し……、明日の朝まで待ってくれませんか? ちょっと、確かめたいことがあるもんで……」
「確かめたいこと? 今じゃだめなことなのかい?」
「はい、多分。 明日の朝確かめて、思ってたとおりなら、すぐ相談に行きますから」
「そういうことなら、とにかく明日の朝まで待つとするかな……。 何だか、ワクワクしてきたよ」
「あ、あんまり、期待しないで下さい、そう大したことじゃないですから……」

と言って伴ちゃんは、はにかみがちな笑顔を見せた。 僕の経験では、彼がこんな表情をする時には、大いに大した事を考えていることが多いんだ……!