玄関小説とエッセイの部屋小説コーナー僕達の青春ドラマ

伊東市警察署の藤島という部長刑事は、がっしりとした体格をした40才くらいの人物で、メガネの奥のいかにも刑事ですという感じの鋭い目をキラリと光らせて、ホールに集められた僕等を見渡した。 彼は自己紹介をすると、絵の盗難があったことを一通り説明し、みんなの驚いたようなざわめきが静まったところを見はからって、さらに説明を続けた。

「ところが、こちらの優秀な秘書である中川さんが、絵が盗まれていることに気づくと同時に、なかなか良いところに目をつけられたのです」

と、彼は中川さんに誉めるような視線を送った。 しかし、中川さんは青白い顔色をしてこわばった表情のままだ。 その顔色からも、彼が絵の管理者として非常に責任を感じていることがうかがえる。 中川さんの隣の耕平氏も同じように青白い顔をして、さすがに呆然とした表情をしている。 大切な浮世絵が盗まれたとわかって、やや放心状態といったところなのかもしれない。

「賊は書斎の東側の窓から侵入したらしく、その窓のガラスが破られ、カギが開けられていたのですが、昨日の雨で別荘の周囲の地面がぬかるんでいるので、きっと賊の足跡が残されているに違いない、と中川さんは思いつかれたのです」

昨夜入った時、僕も気がついたけど、書斎は別荘の北東の角になるため、北側と東側の二ヶ所に窓があるんだ。

「そこで我々に連絡する時に、そのことを注意すると同時に、他の人達にも、別荘の外に人を出さないように注意されたのです。 これはなかなか賢明な処置でして、我々はこちらに到着すると、すぐに別荘の周囲をくまなく調べてみて、足跡らしきものがどこにもないことを発見したのです」

ここで藤島刑事はやや間を取り、芝居がかったように語気を強めて念を押した。

「賊の足跡どころか、人っ子ひとり、ネコの子いっぴき歩いた跡もないのですよ、不思議なことに。 ご存じのように、この別荘の周囲は砂混じりの地面にグルリと取り囲まれていて、昨日の激しい雨で相当ぬかるんでいますし、別荘に入る私道も舗装されておらず、 同じようにぬかるんでいますから、足跡をつけずにこの別荘から出ることも、この別荘に入ることも到底不可能なはずなのです」

藤島刑事の話が意味するところのものを、徐々にみんな理解したらしく、やがてザワザワというざわめきが広がった。 ドロボウが出入りした形跡がないということは、当然のことながら、まだこの別荘の中にドロボウがいるということで、どこかに誰かがじっと身を潜めているか、あるいはこのホールに集まった人達の中にドロボウがいるということだ。

「そこで、こうして朝早くからみなさんにお集まりいただいた理由が、おわかりいただけたと思います。 我々といたしましては、この別荘中をくまなく捜査したいのです。 すでに持田さんには許可をいただいておりますが、みなさんのお部屋は、やはりみなさん方のお許しをいただかないことにはどうにもなりませんからね」
「部屋の捜査というのは、わしらの荷物も含んでいるのかね?」

不満げにそう言ったのは笹岡氏だった。

「もちろんです」
「そりゃあ失敬じゃないかね、君! 君は、わしらの中に賊がいるとでも思っているのかね?」
「いいえ、とんでもありません。 これは、みなさん方の疑いを晴らすためなのですよ」

と口では言ったものの、藤島刑事の疑い深げな目は、「そのとおり、みなさん方を疑っているのですよ」とでも言いたげだった。

「疑いを晴らすなどと、まるでわしらが容疑者のような口ぶりだな、君は。 一体、どんな権利があってそんなことを……」

怒気を含んだ笹岡氏の言葉を藤島刑事は深々と頭を下げてさえぎり、丁重に、それでいてきっぱりと言った。

「失礼の段は、重々おわび申し上げますので、どうか捜査に御協力をお願い致します。 もちろん、正式に捜査令状を取ってもよろしいんですが、みなさん方ならきっと快く協力していただけると思って、こうしてお頼みしているのです。 どうか御協力のほど、よろしくお願い致します」

藤島刑事はこういったことに慣れている様子で、おどしたりすかしたりがなかなか上手だ。 笹岡氏もさすがにそれ以上だだをこねるわけにはいかず、不満そうな顔つきながらそのまま引きさがった。

それからすぐに、何人もの警官と婦人警官が別荘の捜査に取りかかった。 そして自分の部屋の捜査に立ち会うため、ひとりずつ入れ替わりにホールを出て行き、その間にホールに残っている人達への簡単な尋問があった。

僕と伴ちゃんとミミちゃんも尋問を受け、三人とも、昨晩耕平氏の部屋から帰って僕の部屋でしばらくだべった後、みんな今朝までグッスリ寝ていて──グッスリというのは、僕に関する限り少々ウソだったけど──変な物音は聞かなかった、と正直に答えた。 もちろん耕平氏との話し合いの内容については、単なる世間話のようなことにしておいたけど、藤島刑事は話の内容なんかには興味がなさそうで、詳しく尋ねようとはしなかった。

この時もミミちゃんは注目の的で、藤島刑事の鋭い目も、最初に彼女を見た時だけはさすがに穏やかな色になったし、他の刑事達もチラチラと彼女を眺めていた。 そして伴ちゃんもやっぱり反対の意味で注目の的で、ただでさえルンペンそこのけの格好の上、ミミちゃんのボーイフレンドだというもんだから、若い刑事なんか、嫉妬も手伝ってか、容疑者というよりも犯人そのものを見るような目で伴ちゃんを睨んでいる。 こんな時、どこの馬の骨とも知れない僕と伴ちゃんはやたらと分が悪く、疑いの目で見られるのも(腹が立つけど)無理ない状況だとは思う。

笹岡家の人達も僕等と同様、簡単な尋問を受けた。 答えはみんな似たりよったりで、当然のことながら、誰もが熟睡していて変な物音は耳にしなかったということだ。

そのうちに僕の部屋の捜査の番になったので、警官と一緒に自分の部屋に行った。 部屋に入ると、警官達は慣れた様子でテキパキと家捜しを始め──何しろ初めての経験なので──僕は感心してそれを眺めていた。 小説やドラマなんかだと、犯人が証拠品を他人の部屋にわざと置いておくことがよくあるので、さすがにちょっぴり心配だったけど、幸いと言おうか当然と言おうか、おかしなものは何も出てこなかった。

全員の尋問が済むと、もう8時を過ぎていたし、みんな朝っぱらから起こされて腹も減っていたので、ホールで朝食を取ることになった。 朝食はありがたいことに和食だった。 刑事の監視付きなので、誰もがむっつりと押し黙ったまま、半ば機械的に食事をしていた。 でも、そんな中でひとり伴ちゃんだけは嬉しそうにニコニコして、心ゆくまで食事を楽しんでいるようだった。 無理もない、やっと見慣れた味噌汁とか卵とかいう安心してパクつけるものが出されたんだし、彼ときたら、どんな時だって食事に没頭してしまうことができるんだ。

朝食が終わると、腹がふくれたせいか、それまでイライラした表情だったみんなの顔つきがゆったりとくつろいだものになり、反対に平静だった藤島刑事の顔つきがイライラとしたものになってきた。 別荘の内外を捜査していた部下達の報告を受けるたびに、藤島刑事の眉間に刻まれたしわが深くなっていったんだ。

とうとう最後の部下の報告を受け終わると、彼は苦り切った様子ではき捨てるように言った。

「そんな馬鹿な! 40枚近い絵が消えてなくなるわけはない。 もう一度、徹底的に捜すんだ、絶対にこの建物の中にあるはずなんだっ!」