目次 | プロローグ | タイトル | シーン1 | シーン2 | シーン3 | シーン4 | セット裏 | シーン5 | エピローグ | 試写室1 | 試写室2 | エンディング |
「いっやー、冷や汗、冷や汗!」
8ミリ映写機を止めると、僕は照れ隠しにそう言った。 自分で自分を見るというのは、何とも気恥ずかしいもんだ。
「でも、みんなちゃんとした服着てんのに、あたしだけパジャマだなんて、カッコ悪いったらないわねー。 やっぱ、服替えるべきだったかなぁ……?」
と、ミミちゃんは不満顔だ。
「そんなことないよ。
パジャマのままだからこそ、ミミちゃんだけ現実的になって、他のみんながよけい不思議に見えるのさ」
「そーやって、ヤラシー場面を正当化すんのよね、映画界って」
「ある程度はね。
ミミちゃんのパジャマ姿、なかなか色っぽくてカワユかったもんね」
「いーわ、ゲージュツのためなら、あたし、脱ぎますッ!」
「同じギャグを2度使うと、白けるだけなんだけどなぁー」
「そう?
じゃー、ゲージュツのためなら、あたし、写真集出しますッ!」
「それじゃー、まるで落ち目のオバサンタレントかミーハーアイドルだよ!
それにしても、僕等三人で作ったもんでメチャンコな話になっちゃったね、この量子力学解説映画。
こんなもん物理の先生に見せたら、カンカンになってイカっちゃうぜ、きっと」
「そうかなあ……」
と、伴ちゃんは生真面目な表情で、
「僕、一生懸命、わかりやすく説明したつもりだよ。
そりゃあ、勉強不足で、説明うまくないとこたくさんあったと思うけど……」
「そーゆー問題とちゃうんだけど……。
そー言えば、伴ちゃん、最後のところでちょっと納得できないことがあるんだけどね」
「そーそー!
あたしも、最後んとこ、ちょっと納得できないのよねー」
「あれ!?
ミミちゃんも、やっぱり納得できないのかい?」
と、僕は少しびっくりして、
「へぇー、ミミちゃんともあろーものが、ゲージュツだけじゃなくて、学問のこともちょび〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっとは考えてたんだねぇ」
「どーゆー意味よ、それ!?」
ミミちゃんは、ふくれっつらをして見せながら、
「あたしは、『歌って踊れる理論物理学者』を目指してんですからねー。
そんじょそこらの、ミーハーアイドルと一緒にしないでちょーだい!」
「それで、最後のところで納得できないことって、何?」
伴ちゃんは、またしても生真面目な顔で尋ねた。
「それはねー、伴ちゃん、最後んとこで、せっかく伴ちゃんがあたしにプロポーズしかけたのに、どーして友規君が冷奴でブチ壊したのかってことよ」
「あのねー、ミミちゃん、その疑問のどこが学問的なんだよ、全く!」
僕があきれてそう言うと、ミミちゃんは不思議そうな表情で僕を見て、
「あら、友規君の納得できないことって、このことじゃないのォ!? へんねー、これ以外に納得できないことなんてあったかしらねェ……?」
と、考え込んでしまった。
「そんな形而下的なことじゃなくて、観測されていない時の光子が一体どんなものか永久にわからないってことが、僕にはどーしてもふに落ちないんだよ」
「ああ、あのことだね。
実はね、僕もそーなんだよ、友規。
あの説明は、現在、一番主流になっている、『量子力学に関するコペンハーゲン解釈』に従ったんだけど、説明してる僕も、何となくすっきりしないんだよね」
「へえー、伴ちゃんもすっきりしないのかい!?
それじゃあ、僕が納得できないのも当然だなあ。
誰か、すっきり説明できる人はいないの?」
「ぼくの知っている限りでは、まだいないと思うよ。
ただね、科学理論の考え方に2通りのものがあってね」
「2通りのもの?」
「うん。
1つは『実用主義』とでも言ったらいいのかな、科学とは観測事実の間の理論的な関係を調べるためだけのものであって、その背後にある実在的なものについては、あれこれ憶測するべきじゃあないって考え方なんだよ」
「実在的なものについて、あれこれ憶測すべきじゃあない……?
どーゆー意味だい、それは?」
「簡単に言うとね、科学は『How?』に答えるもので、『Why?』や『What?』に答えるものじゃあないってことなんだよ」
「ああ、それ、何となく聞いたことあるよ。
『Why?』に答えるのは哲学の役目だって。
でも、『What?』ぐらいには答えられないと、寂しい気もするなぁ」
「うん。
それで、もう1つは『実在主義』と言ったらいいと思うけど、科学とは観測事実の間の理論的な関係を調べることによって、その背後にある実在的なものについて、あれこれ推測するためのものだって考え方なんだよ。
つまり『How?』だけじゃなくて、『What?』にも答えようってことだよね」
「うんうん、僕はそっちの方が好きだな」
「あたしも、そっちがいー!」
と、急にミミちゃんが横あいから口を出し、
「『How?』ばっかしじゃー、まるでインディアンかケペル先生だもんねー」
「なんちゅー、ド古いことを!」と僕はあきれてしまって、「ケペル先生を知ってる人が、今の世の中に生き残ってるとでも思ってるのかい!?」
「あら、だってケペル先生って、今でも『天才クイズ』だったかに出てるじゃない?」
「あの博士は別人だよ。
確かに、ケペル先生とよく似てるけどね」
「あ、あのう……」と今度は伴ちゃんが口を出し、「ペケル先生はどうだっていいから、さっきの話の続きだけどね……」
「ペケル先生じゃなくて、ケペル先生!
ま、しかし、ここは伴ちゃんの顔を立てて、聞き流してあげようじゃないか。
んで、続きがどうしたって?」
「だからね、まとめて言うと、実用主義者は科学理論を、事実を整理したり、利用したりするための手順書みたいに思ってて、実在主義者は直接見ることはできない実在の性質を説明した、案内書みたいに思ってるってわけなんだよ」
「なるほどねー。
それって、お料理の手順を説明した料理ブックと、おいしいお店を紹介した、ガイドブックの違いみたいなもんね?」
と、ミミちゃんがしたり顔で言うと、伴ちゃんはわけのわかったようなわからないような、あやふやな表情で、
「なんか変な例えだけど、まあ、そんなもんかなぁ……」
「ミミちゃんも、ちゃんと料理ブックどおりに作れば、もっとうまい料理ができるのにね。
せめて、インスタントラーメンぐらいまともに作れるようにしといた方が、将来のためだよ」
そう言って僕がからかうと、ミミちゃんは憤慨した表情できっぱりと答えた。
「インスタントラーメンが何よ!
あたしは、歌って踊れる理論物理学者は目指してるけど、歌って踊って料理もできる理論物理学者を目指すほど、欲張りじゃないのよね」
「それでね、量子力学ってのは、手順書としてはほとんど完璧なんだけど、案内書としては全然役に立たないんだよ。
量子力学は量子が具体的にどういう性質のものなの、何にも教えてくれないんだよね」
「つまり、さっきの映画の中で言ってたように、観測されていない時の量子がどんなものなのか、誰も知らないってことかい?」
「そのとおり。
だから、量子というものが本当はどんなものなのか、色々な考え方があるんだよ」
「とゆーと、例えばどんなやつ?」
「一番有名で一番標準的なのが、さっき言った『コペンハーゲン解釈』でね。
量子力学は観測事実の間の関係を記述するだけのものであって、背後にある実在的な量子について、あれこれ言うべきではないって考え方だよ」
「映画の中で伴ちゃんが説明してた考え方だね?
そいつはさっき言った実用主義そのものだね」
「うん。
コペンハーゲン派のボス的存在であるボーアは、観測装置によって観測された値だけが実在するんであって、実在の量子なんてものはないんだって言ってるぐらいなんだよ」
「そりゃまた極端だねぇ。
実用主義の権化みたいな人だね」
「まあね。
それでもう少し実在主義的な考えが、観測することによって量子が創り出されるって考え方なんだよ」
「観測すること?
てことは、観測装置が量子を創ってるってことかい?」
「観測装置と言うより、観測者といった方がいいかな。
有名な数学者のフォン・ノイマンって人は、意識を持った観測者が量子を創り出すって言ってるぐらいだからね」
「意識を持った観測者!?
何だか唯心論みたいだなぁ。
『我思う、故に量子あり』ってわけかい?」
「そんなとこだね。
これに対して、唯物論的な考え方としては、観測されていない時でも量子はちゃんとあるんだけど、観測された瞬間に、色々な理由で観測値が不確定になってしまうって考え方があるんだよ」
「うんうん、そっちの方が何となく納得しやすいね」
「古典的な考え方だもんね。
この考え方はアインシュタインとか、ド・ブロイとか、シュレディンガーとかいった、初期の量子力学を創った人に多い考え方なんだよね」
「僕もその古典的な考え方が好きだなぁ。
観測者が量子を創り出すってのは、どーもねぇ……」
「その他にも色々な考え方があるんだけど、面白いものとしては、ヒュー・エヴリットって人の平行宇宙だよね」
「平行宇宙……?
何だい、それは?」
「量子力学では、量子がどのように観測されるかを確率的に表現していて、実際に観測されるのはそのうちの1つの場合だけなんだけど、本当は観測するたびに全ての可能な場合が起こっていて、たくさんの平行宇宙が生まれているって考えなんだよ」
「えぇ〜!?
それじゃー、まるでSFのパラレルワールドじゃないか!
唯心論の次はSFかい?」
「うん、そんな感じするけど、この理論の支持者もけっこういるんだよね。
それから、もうひとつの面白い考え方は、バルター・ハイトラーって人なんかの考えで、世界は分割することのできない全体的な存在で、時間的、空間的にいくら離れていても背後では関連していて、ある一部が変化すれば、その変化は瞬間的に他の部分に伝わるってものだよ」
「へぇ〜、そいつは何だか、以心伝心とかテレパシーの世界だね。
物理学者の考えってのは、SF作家や神秘主義者の考えとあんまり変わらないんだなぁ……」
「そうだね。
でも、物理学者の考えが常識はずれってより、実際の自然が非常識にできてるらしいんだよね」
「え?
非常識にできてるって、どーゆーことだい?」
「映画の中でも説明したように、観測されない時の光子は波のような性質を持っていて、1つの光子が2つの窓を同時に通ったとしか考えられないような、縞模様の観測結果になったよね」
「うん、それは映画の中の説明で何となく理解できたよ」
「それで、1回1回の観測では、1つの場所で1つの光子しか観測できないんだから、波のように広く分布していたものが、観測された瞬間に1カ所に集まって、粒のような光子になるわけなんだよね」
「うんうん、それも映画の中の説明でわかったような気がするな」
「でも、よく考えると、それってすごく不思議なことなんだよね。
それができるためには、どこかで観測されたって情報が一瞬のうちに広い空間に伝わって、波のように広がってた光子が、また一瞬のうちに1カ所に集まることができなきゃならないわけだよね?」
「『全員集合!』ってわけだね?
う〜ん、言われてみると、確かにそのとおりだろーねぇ」
「その現象を『量子飛躍』って言うんだけど、光子そのものが光速で伝わっているわけだから、量子飛躍は光速以上のスピードで起こらないと、理屈に合わないよね?」
「う〜んと……つまり、どこかで観測されたって情報が、波のように広がってる光子に追いつかないってことかい?」
「うん、そんなとこだね。
で、実際、1964年に、ジョン・スチュアート・ベルって人が、量子飛躍を説明するためには、量子は非局所的な存在でなければならないっていう、『ベルの定理』を証明したんだよ」
「非局所的な存在って、そりゃまた一体何だい?」
「つまり、量子が普通の粒のような局所的な存在だったとしたら、アインシュタインの相対性理論から、観測されたっていう情報は光速以上のスピードで伝わることができないから、量子飛躍は説明できないんだよ。
量子飛躍を説明するためには、量子は広い空間に分布していて、その間を超光速で情報を伝え合っているような、非局所的な存在でなれけばならないってわけだよ」
「てえことは、さっき伴ちゃんが言ってた、バ……何とかって人の、世界は全体的な存在で、時間的、空間的にいくら離れていても、背後では関連していて、ある一部が変化すれば、その変化は瞬間的に他の部分に伝わるって考えが正しいってわけかい?」
「バルター・ハイトラーだよ。
それが、そうとも言いきれないとこが、量子論のややこしいとこなんだよ。
いくら全体的な存在でも、空間的に離れている部分へ情報を伝えるためには、何かのメカニズムが必要なんだけど、超光速で情報を伝えられるメカニズムなんて、誰も考えつかないんだよね」
「あぁ、そりゃそうだろーね」
「そんな方法があれば、局所的な存在でも量子飛躍が説明できるんだよね。
実際、デビッド・ボームって人が、普通の粒状の量子と、超光速で伝わるパイロット波ってものを組み合わせて、量子飛躍を説明することのできる量子モデルを作ってるもんね」
「ふぅ〜ん、そんなもんなのかい?」
「うん。
他の説でも、とにかく超光速で情報を伝え合うことができれば、量子飛躍は説明できるんだよ。
しかも、どの説に基づいても全く同じ観測結果を予測するんだよね」
「じゃあ伴ちゃんは、その色んな説のうち、どれが一番もっともらしいと思ってるんだい?」
「う〜ん、はっきり言うと、どの説も常識とかけ離れていすぎて、いまいち納得できないんだよ。
考えれば考えるほど、わけがわからなくなっちゃうしね」
「あれあれ、説明してる方がそれじゃー、聞いてる方は納得できるわけないわなぁ」
「うん、いっそのこと、ボーアの言うように、量子がほんとはどんなものかなんて考えても無駄だから、考えないでおこうと思っちゃうこともあるよ」
「おやおや、伴ちゃんともあろーものが、実用主義者の仲間入りかい!?
伴ちゃんは、アインシュタインと同じで実在主義者なんだろ?」
「うん、そのつもりなんだけど、量子力学に関しては、実用主義者にしかなれないかなぁって思う時もあるよ」
「なるほどねぇ、話を聞いてると、もっともだと思うけどね。
……そうだ、いいことがあるぜ、伴ちゃん!」