「ま、とりあえずt値はさせておいて、検定では、実験結果からt値を求めて、そのt値から帰無仮説が正しい確率、つまりP値を計算するんだよ。
そしてこのP値が、あらかじめ決めておいたすごく小さな値、例えば0.05、つまり5%以下になった時だけ、対立仮説を採用して帰無仮説を捨てるんだけど、これを『有意水準5%で有意』って表現するんだよね。
だから、P値のことを『有意確率』っていうこともあるんだよ」
「ページが変わったとたん、いっきなり始まったわね、タワゴトが。
伴ちゃん、伴ちゃんは自分でしゃべってる言葉の意味、よーっくわかってんでしょーけど、あたし達地球人にはさっぱりわかんないってこと知ってる?」
「おいおい、ミミちゃん、『あたし達』って、僕まで巻き添えにしないでくれよ」と、僕。
「あら、じゃ友則君、今の土星後、わかったとでもゆー気?」
「はっきり言って、ほとんどわからん。
金星語なら少しは知ってるんだけど」
「でしょー?
しょせん、あたし達地球人には、英語は理解できても土星語は理解できないのよねー」
「土星語ってねえ、今の話のどこがわからないの?」と、伴ちゃんはふに落ちない表情だ。
「どこもかしこもよ。あったり前のこと、聞かないでちょーだい!」
「ご、ごめん……」
「とにかく伴ちゃん、順番に聞くけど、まず『有意水準』って何のことだい?」と、僕。
「有意水準ってのはね、さっき言ったすごく小さな基準値のことで、帰無仮説が正しくて、対立仮説が間違っている確率だから、『危険率』とも呼ばれているんだよ」
「じゃあ『有意』ってのは?」
「読んで字のごとく、意味が有るってことだよ。
ただし、これは数学的に意味が有るってことだから、信頼できるってことなんだよね」
「信頼できるって?」
「つまり、『母平均は基準値と違っている』という対立仮説が95%信頼できる、この仮説が間違っている危険性は5%ぐらいしかないって意味なんだよ。
もっと極端に言っちゃえば、標本平均が60kgで基準値が50kgなんだから、母平均は基準値と違っている可能性が大きいよね。
だから、この結果をそのまま素直に信頼して結論を言っても大丈夫、実験結果は95%信頼できるってことなんだよ」
「うーん、何となくわかったような気はするけど……」
「じゃ、伴ちゃん、P値が有意水準より大きかった時にはどーするわけ?」と、今度はミミちゃん。
「その時には、『有意水準5%で有意ではない』って言って、はっきりとは何も言わず、結論を保留するんだよ」
「コッスーッ!
ほんっと性格悪いわねー、数学者って。
伴ちゃん、乞食でも仙人でもいーから、間違っても、政治家と数学者にだけはならないでね」
「それじゃあ、伴ちゃん、P値がすごく大きな値になって、帰無仮説の正しい確率がすごく高くなっても、帰無仮説は結論として採用しないのかい?」と、僕。
「うん、まあ、普通は採用しないね」
「やったァ!
やったね伴ちゃん、やっぱ対立仮説の方がいーもんね。
帰無仮説なんて、変に格好ばっかつけてるからいけないのよねー」
「完全に、対立仮説のことを伴ちゃんと思い込んじゃってるね、ミミちゃんは」
「えー、そーですよ。
友則君は、どっちかっつーと帰無仮説タイプになりたいんでしょ?」
「へェ、ヘェ、どーせあたしゃー、ニヒルで二枚目ですよ」
「そんなに自分を卑下することないわ、友則君だって立派に三枚目よ」
「お褒めに預かって、光栄の行ったり来たりですよ、ほんとに。
……ところで伴ちゃん、今、『普通は』って言ったけど、普通じゃなけりゃあ、帰無仮説を採用することもあるのかい?」
「うん。
実を言うと、統計学的には、母平均がある値にぴったりと等しいってことを証明する方法はなくて、ある値と違っているってことを証明する方法しかないんだよ。
だから、『母平均が基準値と等しい』っていう帰無仮説を、そのまま採用することはないんだよね」
「じゃあ、どーするんだい?」
「基準値と母平均がどれぐらい近ければ、実質的に等しいと考えられるか、つまり、母平均と基準値との差がどれぐらい小さければ、実質的に誤差範囲と考えられるかを決めて、その値δ*を、例えば1とすると……」
と言って、伴ちゃんは次のように書いた。
「……という仮説を採用するんだよ。
でも、これは本当の帰無仮説とはちょっと違うから、十分注意しなくちゃならないんだけどね」
「そのδ*の値はどーやって決めるんだい?」
「これも基準値μ0と同じで、統計学じゃなくて、統計学を利用する実質科学分野の理論とか知識とかに基づいて、しっかりと決めるべきものなんだよ」
「なるほどねー、これで帰無仮説も少しは浮かばれるってゆーもんだな」
「うん。
ただこれは特殊な場合で、検定ってのは、普通はさっきのように、あくまでも対立仮説を証明することが目的なんだよね」
「そーよ、そーよ、主役はやっぱ対立仮説なのよ。
帰無仮説なんて、自然淘汰されちゃう運命なのよねー」
「過酷な生存競争の犠牲者ってわけか。
あー、いやだいやだ、こんな世界は。
僕は競争も戦争も統計学もない平和な世界で、悠々自適、強敵無敵な生活がしたい!」
「あっまーい!
そんな言語道断、斜め横断なことが許されるとでも思ってんの?」
「ああ、しょせんこの世は弱肉強食、焼き肉定食の世界なのか!」
「とーぜん!
それがいやなら、人里離れた山奥で自給自足、月給不足の生活でもするのね」
「おぉ、それは何とゆー素晴らしい、空前絶後、食前食後のアイデアなんだ!」
「そーでもないわ、単に越前越後、産前産後のアイデアよ」
「えーと、えーと、ん〜〜、さすがに、もー思い付かん!」
「勝った!
……ところで伴ちゃん、聞くの忘れてたんだけど、t値からP値はどーやて計算すんの?」
「それはすごく難しいんだよ、実は。
手で計算するとものすごく面倒だから、普通はコンピュータで計算するんだよね」
「じゃ、コンピュータがないと、検定はできないってわけ?」
「そんなことないよ。
P値がね、ちょうど有意水準の値と同じになる時のt値が、もうすでに色々と計算されていて、統計学の教科書なんかに載っているんだよ。
だから、その基準のt値と実験結果のt値を比べてみて、実験結果のt値が基準のt値以上なら、P値が有意水準以下になっちゃうし、基準のt値未満なら、P値が有意水準より大きくなっちゃうから、それで検定をすることができるんだよ」
「じゃ、例えば有意水準5%なら、基準のt値はどれくらい?」
「実験の例数によって多少違うんだけど、5%ならだいたい2ぐらいだね」
「じゃ、10%なら?」
「そうだね、だいたい1.7くらいかなぁ」
「1%は?」
「えーと、2.7くらいじゃないかなぁ、多分……」
「2%は?」
「えーと、んーと……、駄目だ、僕、コンピュータじゃないから、そこまで覚えてないよ。
ごめんね」
「いーのよ、別に。
からかってただけだから」
「あのねぇ……」
「ウソ、ウソ! ちょっと、さっきの体重の例を検定してみたかったのよ」
「あっ、そう言えば計算するのを忘れてたね、ごめん、ごめん。
えーと、さっきは100例の標本平均値が60で、標準偏差が10だったから……」
と言いながら、伴ちゃんは次のような式を書いた。
「……となって、t値が2以上だから完全に有意水準5%で有意だよね。
つまりこの結果から、日本人の平均体重は50kgよりも重いってことが、95%の確率で言えるんだよ。
ほらね、コンピュータを使わなくても、割と簡単に計算できるだろ?」
「そーね、ほんとすっごく簡単ね、伴ちゃんゴマ化すのは」
「え? 何だって?」
「いえ別に、こっちのこと。
……で、そのt値にちっちゃな丸がくっついてるのは、どーゆー意味?」
「これはね、observedの『o』で、実験から求めたt値だって意味だよ。
こんなものをわざわざ付けなくてもいいんだけど、P値がちょうど有意水準の値と同じになる時の、基準のt値と区別するために、一応、付けているんだよね」
「それで伴ちゃん、有意水準の値は5%が決まりなのかい?」と、今度は僕が質問した。
「とんでもない!
有意水準ってのはね、どれぐらい小さな確率だったら、間違っているかもしれないことを言っても、大目に見てもらえるのかっていう、一種の合格水準みたいなもんだから、実験の内容や結論の重要性を考えて、実質科学的に決めるべきものなんだよ」
「じゃあ、実験によって色々変えちゃってもいーんだね?」
「もちろん、いいよ。
むしろ、実験の内容や状況に応じて、適当に変えなきゃならないもんなんだよ。
ただ、第三者がそれをどう受け取るかは、また別の問題だけどね」
「ははあ、つまりどれだけホラを吹いても、それは実験やった人の自由だけど、その話をどれぐらい眉に唾を付けて聞くかは、聞く人の問題だってことかい?」
「うーん、ものすごい例えだけど、まあそんな感じだよね」
「それとね、対立仮説って、ただ単に母平均が基準値と違ってるってだけで、やたら漠然としてるだろ?
もうちょっと具体的に、母平均はいくつだって言えないのかい?」
「まあ、友則君ったら、四条対立仮説に文句付ける気?」と、ミミちゃんが口を出し、「伴ちゃんは、一見ぼんやりしてるよーで、その実、ほんとにぼんやりしてるとこが値打ちなのよ」
「そりゃあ、伴ちゃんについてはそのとおりだと思うけど、対立仮説はもっと男らしく、はっきりした方がいーと思うんだけどなぁ。
だって、基準値と違ってるってだけじゃあ、1違ってるのか、それとも10違ってるのかわからんだろ?」
「うん、友則の言うとおりなんだよ。
でも、検定ってのは元々定性試験だから、それ以上のことは言えないんだよ。
有意ってのは、数学的に意味が有る、つまり母平均と基準値との差が0じゃないってことが、数学的に信頼できるってことだから、実質科学的に意味が有るってこととは、全然別の話なんだよね」
「えーっ!?
じゃ、伴ちゃん、検定で有意ってなっても、科学的には無意味なことってあるわけェ?」
と、ミミちゃんが意外そうな面持ちで尋ねた。
「うん、母平均と基準値の違いが、実質科学的には誤差範囲に入るほど小さかったら、いくら検定結果が有意でも、実質科学的には無意味だよね。
検定では、母平均が基準値とどれくらい違っているのかわからないので、検定結果だけでは、実質科学的な判断はできないんだよ」
「そんなァー。
そりゃないわよ、伴ちゃん、それじゃ無意味だわ。
そんなことじゃ、友則君に『男らしくない』って文句付けられても、仕方ないわよ」
「うん、ごめん。
ほんと言うと、僕も、検定ってのはほとんど無意味だって思うんだよね。
でも、僕だって、たまにはぼんやりしてない時だってあるつもりだよ、ほんと、たまにだけど……」
「なーに言ってんの、あたしと話す時だけぼんやりしてなきゃいーのよ。
他の人と話す時なんて、馬の耳に讃美歌でいーのよね」
「ミミちゃん、伴ちゃんとよくまともに話できるねぇ」と、僕は感心して、「無二の親友の僕だって、たまに頭がおかしくなることがあるのに」
「『女の一念、岩をも通す』よ。
ここまで来るには、随分苦労したのよねー、あたしも」
「わかる、わかる、キミの苦労はよーくわかる。
わたしも、同じ苦労を分かち合った仲間だからなぁ」
「ありがとーございますゥ、荻須先輩!」
「これからも頑張るんだ、日本の将来は君の双肩にかかっておる。
華岡青洲の妻も見守っておるぞよ!」
「ハイッ、近代医学のためならば、なんで惜しかろこの身体、例え火の中水の中、姑なんかにゃ負けんぜよ!」
「『華岡青洲の妻』ってより、『極道の妻達』って感じだなぁ……」