玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

【第4章 追い込み期間】

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さて、正月から正月明けにかけて、立候補予定のRさんは多忙を極めました。 第1章で説明したように、正月には町長を初めとする有力政治家のところへの年始回り、町長の後援会が主催する伊勢神宮バス旅行、地元の政治団体K会の新年会、A地区の元旦祭などといった恒例行事が山ほどあります。 Rさんと後援会会長のNさんは、町会議員のMさんに連れられてそれらの行事に全て参加し、色々な人達に顔を売りまくりました。 僕は区長の時にそれらの行事に全て参加し、いい加減うんざりしていたので、後援会の名簿をまとめなければならないという口実で全て参加しませんでした。

Rさんは町会議員の後援会会長をしていたことがあるので、そういった行事についてある程度は知っていました。 しかしその町会議員は革新系であり、そういった行事には参加しませんでしたし、Rさん自身は鉄道関係の組合活動を中心にした政治活動をしてきたので、勝手が違ってさすがに驚いたようです。

特に驚いたのは、Rさんの立候補の挨拶に対する反応でした。 Rさんと隣の地区の町会議員Tさんは、どちらも町長とK会の推薦候補者ということで、そういった行事の中で特別に挨拶をさせてもらいました。 そしてその挨拶では、A地区の現町会議員であるMさんが勇退するため、Mさんの後を継いで次の町会議員選挙に立候補する予定であることと、自分の信条や活動方針などを説明しました。 ところが驚いたことに、その挨拶に対して「まだ議員でもないのに偉そうだ」とか、「新人なんだから、ただ『お願いします』と頭を下げていればいいんだ」などといった文句が、後から出たというのです。

Rさんは組合活動をしていた上、素人演劇で役者をやっていたので、かなり雄弁であり、誠意のこもった、信念を感じさせる演説をします。 僕もRさんの演説を何度も聴いたことがありますが、いつも聞き惚れてしまいます。 それに対してMさんや隣の地区のTさんは、地元の利権を守るために担ぎ上げられた、ただの農家のオジンサです。 このため、はっきりいってほとんど何の主義主張もなく、演説はまるで下手くそです。 このためRさんと比べると、どうしても見劣りしてしまいます。

特に隣の地区のTさんは親の地盤を継いでまだ1期目であり、Mさんに輪をかけて演説が下手でした。 そこで地元の長老達から、

「地元の行事があったら、祝い金とお酒を忘れずに差し入れ、選挙ではただただ『お願いします』と頭を下げているように!」

と、あからさまにいわれていました。 その忠告を忠実に守っていれば良いものを、本人はそれなりにやる気があり、無い知恵を絞って色々と主張しようとするので、シドロモドロでますますわけのわからない演説になったりして、けっこう憎めないところがあります。 実はTさんと僕と、それから立候補を取りやめたIさんはみんな同年代であり、お互いに以前から知り合いなので、わりと気安かったりするのです。

Rさんの挨拶に対する文句は、おそらくTさんの後援会関係者あたりから出た、やっかみ半分のものではないかと思います。 立候補を予定している人が、自分の信条や活動方針を説明せずに、ただ「お願いします」を繰り返すだけとは、一体全体、何をお願いするのかと、僕もさすがにあきれました。 そして、

「そんな馬鹿げた文句をいう人はごく一部だから、今までどおり自分の主張をどんどん訴えた方が良い」

とRさんに助言しました。 しかし驚いたことに、Mさんの後援会幹部だった人達は、

「下手に反感を買うのはつまらんから、今はなるべく大人しくしていて、当選してから自分の主張をする方が良い」

という意見でした。 僕は、

「そんなことでは、たとえ一部の人達の反感は買わなくても、候補者の主義主張を聞いて、賛成できる人に投票しようというしっかりした人達の反感を買って、相手にされない。 やっかみ半分の馬鹿げた文句をいうような人達の支持を得るよりも、そういった良識のあるしっかりした人達の支持を得る方がよっぽどいい」

と反論しました。

Rさんも、当然、本音としては僕と同じ意見でした。 でも、Mさんの後援会幹部だった人達の顔も立てなければならないので、一応はその意見を聞いて、これからはなるべく気を付けるようにするということになりました。 僕は大いに不満でしたが、自治会活動をした経験から、残念ながらこの土地では良識のあるしっかりした人達は少数派であり、馬鹿げた文句をいうような人達の方が多数派であるということは、ある程度わかっていました。 また今回は初めての選挙なので、なるべく従来のやり方に従っておき、次回の選挙までには、後援会活動のやり方をできるだけ理想に近い方向に変えてやろうと思っていたので、ここはとりあえず妥協しておくことにしました。

このことに限らず、この頃から、僕とMさんの後援会幹部の人達との根本的な考え方の違いが次第に顕著になってきて、Rさんは板ばさみになって困惑することが多くなってきました。 もちろんRさんは、ほとんどの場合は僕と同じ意見でした。 しかし根が律儀なので、自分を応援してくれる以上はそういった人達の意見もできるだけ取り入れようとしました。 特に今回はなるべく従来のやり方に従うということにしたので、どうしてもMさんの後援会幹部の人達の意見に引きずられることが多くなっていきました。

ともあれ、Rさんが正月の行事をこなしている間、僕は正月の行事に同行しない口実にした後援会の名簿作成を実際に行っていました。 後援会幹部のところに、後援会のしおりに付けた入会申込書がどんどん集まっていたので、それを片っ端からデータベースに登録しました。 会員のデータベースは、選挙活動だけでなく今後の後援会活動の基礎になるものなので、住所・氏名だけでなく色々な情報を入力できるように設計しました。 これは、会社の業務で使用していた「ドクターカード(得意先の医師の情報をデータベースにしたもの)」を参考にしたものです。

そしてデータベースを整備すると同時に、住宅地図(一軒一軒の家の住所と名前が記載された非常に詳細な地図)で会員の家を探し出し、一般会員、役員、幹部と色分けをして蛍光ペンでマークしました。 こうすることによって、後援会会員の家がわかるだけでなく分布状態もわかり、Rさんが強い地域と弱い地域が一目瞭然になるので何かと便利です。 住宅地図は自治会の備品の中にあり、区長の時にそれを全てコピーしてありました。 そして自分の担当地区であるA地区を1枚の大きな地図にして自宅の壁に張っておき、そこに色々な団体の役員や重要な人の家を色分けしてマークしていました。 それと同じことを後援会でも行ったのです。

第2章で説明したタイムスケジュールでは、1月中旬までには後援会名簿を作成し、選挙事務所を設立することになっていました。 しかし正月までに集まった入会申込書は約500名分であり、目標の半分しかいっていませんでした。 このためMさんの後援会名簿を参考にして今後の作戦を練ろうと、Mさんの後援会幹部の人達に「参考のためにMさんの後援会名簿を見せて欲しい」と頼みました。

ところが驚いたことに、従来は役員名簿は作るものの、会員全体の名簿は作ったことがないということでした。 Mさんの後援会幹部の人達にとっては後援会の役員が会員全体であり、一般会員のことはほとんど頭にないようでした。 後援会の結成大会を役員だけで行ったのはその考えからですし、総決起大会を開いたことがないのもその考えからです。 その上、選挙が終われば後援会は活動らしい活動をしておらず、正確な会員数すらはっきりとは把握されていませんでした。

そして最低でも1年に1回は開催しなければならないはずの総会は、今まで開いたことがなく、年度末に役員会を開いて次年度の役員と執行部を決めるだけで、それを総会代わりにしていた、というよりもそれを総会と思い込んでいたようでした。 こんな有名無実の幽霊後援会で今までよく当選できたもんだと、僕は唖然としてしまいました。 これでは、住民の声を聞いてそれを政治活動に反映するなどということができるはずはありません。

こんな調子でMさんの後援会のデータが全く参考にならず、僕は少々あせりました。 そして会員数がまだ目標の半分しかいっていないので、もっと会員を集めるよう後援会幹部会でハッパをかけました。 ところがMさんの後援会幹部だった人達は、今回は今までに比べて会員数が多く、かなり手ごたえを感じているという意見でした。

一般に、後援会の会員数は目標獲得票数の2倍程度が目安といわれています。 このため僕は、Mさんの後援会幹部だった人達の意見を聞いて半信半疑でした。 しかし選挙の後、ここは地域のシガラミが強いため名前だけの幽霊会員の割合が少なく、逆にわざわざ後援会に入らなくても、必ず地元の候補者に投票する隠れ会員がけっこういるので、後援会会員数よりも獲得票数の方がむしろ多いということがわかりました。 また後援会が有名無実であるのはMさんだけでなく、T町の多くの町会議員の後援会が同じような状態であることもだんだんとわかってきました。

Rさんの後援会はそんな有名無実のものにはしたくなかったので、本当は会員名簿と住宅地図を参考にして小地区ごとに小集会を開き、Rさんが後援会会員に直接挨拶をして色々な話し合いをしたかったのです。 しかし今回の選挙では残念ながら小集会は一度も開けず、今後の課題として残りました。

僕がデータベース化した後援会の会員名簿は選挙の電話作戦に使ったり、はがき作戦に使ったりと選挙の間は大いに活用しました。 そしてその後も色々と活用するつもりで、メンテナンスがやりやすいように色々と工夫しました。 しかしコンピュータを使える人間が僕しかいなかったので、資料を全てコンピュータ化してしまった自治会と同じように、コンピュータを使える人間が現れるまでは、僕がずっと面倒を見なければならない羽目になってしまいました。

会員名簿整備の次は、選挙事務所の設立準備に入りました。 Rさんは、最初は自宅を選挙事務所にするつもりでいました。 しかしRさんの家はごく普通の建売住宅ですから、事務所に出入りする人数から考えて、できればもっと広い場所にした方が良いと思われました。 そこでMさんが選挙事務所として利用していた建物を借りられないか、Mさんに相談しました。 その建物はMさん家の物置小屋で、50畳ほどの広さがあり、都合が良いことにA地区のほぼ真ん中に位置していました。

Mさんはもちろん快諾してくれ、自分が使っていた選挙七つ道具も譲ってくれることになりました。 Mさんは、物置小屋の賃貸料も選挙七つ道具の代価も無料で良いといってくれました。 しかしそれでは選挙違反になってしまうので、僕はRさんと相談し、市場価格に見合うだけの賃貸料と代価を支払うことにしました。 ところが律儀で人の良いMさんは、自分の後を継いで地元のために働いてくれるというのに、そんなお金を受け取るつもりは全くないといって頑として受け取りませんでした。 Mさんに限らず地家の人達はあきれるほど律儀で人が良く、しかもかなり頑固なので、こうなるとどうしようもないことを僕はこれまでの経験から知っていました。

そこで選挙の会計上はMさんに物置小屋の賃貸料と選挙七つ道具の代価を支払ったことにし、その金額をそっくりそのまま「匿名の有志からの寄付金」として後援会会計に入金することにしました。 後援会会計と選挙会計は独立した会計なので、帳簿上はこれで何の問題もありません。 そして選挙違反にならないためにそのような処理をすることをRさんとMさんに説明し、領収書などの証票類をしっかりと保管しておいてもらうことにしました。

実は、これは自治会の時に僕自身が使った手です。 A地区では、区長が自治会長を兼任し、自治会費から役手当てとして5万円が支給されます。 この役手当てを、僕はそっくりそのまま「匿名の有志からの寄付金」として自治会に寄付しました。 また自分のために、影の黒幕役として事務局という役を作った時、役員会で協議して役手当てとして1万円を支給することにしました。 この時も、僕の後で事務局を務める人のために、自治会の会計上は役手当てを受け取ったことにしておき、それをそっくりそのまま「匿名の有志からの寄付金」として自治会に寄付しました。 天邪鬼で変に意固地な僕は、こういったボランティア的な仕事でお金を受け取る気がどうしてもしなかったのです。

区長は自治会長と違って特別公務員ですから、当然、町から報酬が支給されます。 その金額は担当地区の戸数によって決まっていて、普通はだいたい年額10万円程度です。 しかしA地区は町で最も戸数が多いため、年額60万円程度を支給されました。 天邪鬼な僕は、町から貰う報酬は区長の必要経費と考えていたので、それを全て区長職の活動費にあてました。 区長の活動費というのは、例えば活動のための交通費や各種の勉強用資料の購入代、そして公的な会議以外の非公式な打ち合わせ時の飲食代や、親睦のための飲食代のような交際費が主なものです。

僕以前は公式な会議と非公式な打ち合わせの区別が曖昧であり、飲食代などはたいてい区長のポケットマネーから出すのが慣習になっていました。 そこで僕は公式な会議と非公式な打ち合わせをはっきりと区別し、公式な会議の費用は会議費として自治会費から支出し、非公式な打ち合わせは自己負担ということにしました。 しかしそうはいっても慣習を一度に変えるのは難しいので、非公式な打ち合わせの費用は、表向きは自己負担ということにしておき、実際は区長報酬から出しました。

また僕が政教分離するまでは、神社の修繕費などを自治会費から半額負担していました。 そこで、政教分離に応じて神社費のやりくりを何とかするまでは、従来の自治会費負担分を「匿名の寄付金」として区長報酬からこっそり支出していました。 政教分離が完全になるまでの間、こういった表には出せない出費がけっこうありました。

しかしそれだけ使っても年額60万円という金額はなかなか使い切れず、3分の1ほど余りました。 そこで所得税分を除いた残金は、全て福祉協議会などの公共団体に匿名で寄付しました。 区長報酬は個人所得になるので、年度末に税務署に申告して、所得税を支払わなければなりませんでした。 所得税分を除いたのは、そのためです。 何しろ町から支給された公の報酬なので、脱税するわけにはいかなかったのです。 こういった匿名の寄付は別に崇高な精神から出たものではなく、「町なんぞから報酬を貰ってたまるもんか!p(+o+)」という、僕の馬鹿げた意地以外の何者でもありません。