玄関雑学の部屋雑学コーナー日本語の起源

○カタカナとひらがな−2

ひらがなは、カタカナ選定の少し後に、弘法大師が万葉仮名の草書体から作り、同時にその普及のために「いろは歌」も作ったとされています。 しかしこれも伝承にすぎず、実際には色々な人々の手によって作られたと思われます。

奈良時代後期から平安時代初期にかけて、和歌などの非公式な文章には、万葉仮名を草書体にした「草(そう)」という万葉仮名が用いられることが多くなります。 そして草をさらに簡略にしたものを「女手(おんなで)」と呼び、主として宮中の女官達によって作られ、女性の間で用いられていました。 これが後の「ひらがな」です。

いろは歌
いろはにほへどちりぬるをわがよたれぞつねならむ
うゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせず

ひらがなは万葉仮名の代わりの文字ですから、最初の頃はひらがなだけで用いられていました。 やがてその書きやすさから男性の間にも普及するようになり、カタカナと同じように、漢字と一緒に用いられるようにもなります。 そして「平易な、あるいは非公式な平素の仮名」という意味から、「片仮名」に対して「平仮名」と呼ばれるようになったとされています。

「をとこもすなる日記といふものを、をんなもしてみむとてするなり」と、ネットオカマの元祖のような紀貫之が、女性を装って書いた「土佐日記」は、日本初のひらがなで書いた日記文学として有名です。

このようにひらがなは自然発生的な要素が強いため、字体が安定するまでに長い年月がかかっています。 また万葉仮名はひとつの音節に対して何種類もの漢字が用いられていましたから、ひらがなもひとつの音節に対して何種類もの文字がありました。 そしてそれらが最終的に現行のものに固定されたのは、何と1900年の明治政府による小学校令施行規則によるもので、これを「欽定平仮名」といいます(カタカナに一番よく似た字体の文字が採用されたようです)。

この欽定平仮名以外のひらがなは、「変体平仮名」あるいは「変態平仮名」と呼ばれて、その後も長い間併用されていました。 何しろ大正時代までは高等女学校で変体平仮名を教えていたほどですし、現在でも看板や暖簾に「うなぎ」と「そば」という文字を書く場合、変体平仮名を用いている店がたまにあります(漢字の草書体に近い文字です)。 女学校で変体平仮名を教えていたのは、「ひらがなは女性が使う文字」という意識の名残でしょう。

このようにひらがなは定着するまでに千年近くの時間を要していますが、これは常用文字が定着するまでの時間としては決して長い方ではありません。 ひらがなに比べてカタカナは元字との関係がより不明確であるにもかかわらず、なぜこれほど驚異的な安定性を持っていたのでしょうか? また2種類の音節常用文字がほぼ時を同じくして作られ、それらが併用されていたのはなぜでしょうか? 我々が日常使っている文字体系ですから、あまり不思議に思いませんが、同じ目的の表音文字体系を2種類併用している例は、世界中でほとんど日本語だけなのです。

これらの疑問に対するひとつの答として、「カタカナは基本的に漢字の一部を取って作ったが、漢字以前に存在した日本の固有文字も参考にしたのではないか?」という考えがあります。 もちろんこの考えは今のところ憶測の域を出ませんが、非常に魅力ある考えだと思います。

そもそもある集団に文字が発生する条件としては、次のようなものがあると言われています。

日本の弥生時代(紀元前300年〜紀元後300年頃)は、この条件をある程度満足していますから、原始的な絵文字程度のものが存在していても決して不思議ではありません。 事実、弥生時代から古墳時代にかけての色々な遺跡から、絵文字らしきものがいくつも発掘されています。 特に歴史の教科書でお馴染みの銅鐸の絵は有名で、これまでにも何人かの研究者が、これらを絵文字の一種と考えて解読しようと試みています。

世界各地の古代絵文字とこれらの絵を比べると、確かに類似性があり、絵文字である可能性は十分あるように思われます。 もしこれらが絵文字だとすると、他の古代文明の初期の絵文字がそうであったように、これらの絵文字は主として権力者や神官などが、政治的および宗教的な目的で使用した可能性が高いはずです。 そしてこれらの絵文字は一部の権力者や神官によって伝えられて、飛鳥・奈良時代には原始的な線文字段階にまで発達していたのではないでしょうか。

初期の線文字は、漢字のように表意文字的な使い方と表音文字的な使い方が混在していることが多く、例えば一般名詞や動詞を表す文字は表意的に、語尾変化や助詞や固有名詞を表す文字は表音的に使われたりします。 漢文を訓読しようとした時、そういった線文字の持つ表意+表音的な使い方を参考にして、漢字を表意文字とし、その補助文字として表音的な文字を作ることを思い付いたとは考えられないでしょうか。 そしてその表音文字つまりカタカナは、基本的に漢字の一部を取って作ることにしたものの、適当な漢字が無いものについては、初期の線文字段階にあった日本の固有文字を流用したのではないでしょうか。

この憶測を裏付ける考古学的な資料は、現在のところ岩戸文字などごくわずかしかなく、しかもこれらの古代文字が残された正確な年代は、残念ながらはっきりしていません。 しかし興味深いことに、これらの古代文字の一部にはカタカナに良く似た字形の文字(特にア、キ、サ、ス、ヘ、ラ、ワ)があるのです。 もちろんそれらの固有文字が本当に存在していたとしても、それらに関する資料も伝承もほとんど残されていないことから考えて、広く民衆に用いられていたとは考えられず、一部の学者や神官だけが用いていたと思われます。

もしこの考えが正しければ、カタカナが最初から権力者や神官や学者用の、公式文字的な性格を持っていたとしても不思議ではありません。 仮名は「神名(かむな)」に由来していて、カタカナは、本来は「象神名(かたかむな、神の名を表す象形文字)」であった、と主張する研究者もいますが、この説も一理あるのかもしれません。

これに対してひらがなは、おそらくカタカナの影響を受けて、万葉仮名の草書体から自然発生した表音文字と考えられます。 万葉仮名は古代朝鮮の「吏読(イドゥ)」と呼ばれる万葉仮名方式の表記法を真似たものと考えられ、カタカナとは別の発生系統を持っています。 このためひらがなは最初から女性を中心とした一般民衆が用いる、非公式な文字体系だったのかもしれません。

またひらがなはカタカナの影響を受けたため、カタカナの字形に似せて崩した文字が多く、特に「へ」は適当な漢字が無いので、カタカナをそのまま流用したものと思われます。 ひらがなは漢字の草書体から発達したために、筆で書くのに適した字形をしていますが、カタカナは漢字の一部を取ったせいもあるでしょうが、どちらかと言えば土器や石などに線刻するのに適した線文字系の字形です。 これは、何となく2種類の文字の起源を暗示しているような気がしないでもありません。