ア 阿 | イ 伊 | ウ 宇 | エ 江 | オ 放 | あ 安 | い 以 | う 宇 | え 衣 | お 於 | |
カ 加 | キ 幾・起? | ク 久 | ケ 介・希? | コ 己 | か 加 | き 幾 | く 久 | け 計 | こ 己 | |
サ 散・左? | シ 之? | ス 須・寸? | セ 世 | ソ 曽 | さ 左 | し 之 | す 寸 | せ 世 | そ 曽 | |
タ 多 | チ 千 | ツ 川・爪 | テ 天 | ト 止 | た 太 | ち 知 | つ 川 | て 天 | と 止 | |
ナ 奈 | ニ 二・仁 | ヌ 奴 | ネ 祢・禰 | ノ 乃 | な 奈 | に 仁 | ぬ 奴 | ね 祢・禰 | の 乃 | |
ハ 八・波 | ヒ 比 | フ 不 | ヘ 部・辺? | ホ 保 | は 波 | ひ 比 | ふ 不 | へ 部? | ほ 保 | |
マ 万・末? | ミ 三 | ム 牟 | メ 女 | モ 毛 | ま 末 | み 美 | む 武 | め 女 | も 毛 | |
ヤ 也 | ユ 由? | ヨ 與 | や 也 | ゆ 由 | よ 与 | |||||
ラ 良? | リ 利 | ル 流 | レ 礼 | ロ 呂 | ら 良 | り 利 | る 留 | れ 礼 | ろ 呂 | |
ワ ○・和? | ヰ 井 | ヱ 慧・恵? | ヲ 乎 | わ 和 | ゐ 為 | ゑ 恵 | を 遠 | |||
ン 无? | ん 无 |
カタカナ(片仮名)とひらがな(平仮名)はどちらも平安時代初期に作られた音節常用文字で、カタカナは漢字の一部を取って作られ、ひらがなは漢字の草書体から作られたというのが定説になっています。 資料によって多少の違いはありますが、カタカナとひらがなの字源は左表のような漢字だと言われています。
表のように、たいていの文字は元字との関係がはっきりわかりますが、カタカナの一部(上表で「?」のついている文字)と、ひらがなの「へ」は元字との関係があまり明確ではありません。 カタカナが漢字の一部を取ったものだとすれば、漢字を崩して作ったひらがなよりも字源がはっきりしていてもよさそうなのに、実際にはひらがなに比べて字源がはっきりしない文字が多いのはなぜでしょうか? また、同じ音節常用文字をなぜ同時に2種類も作り出す必要があったのでしょうか?
このあたりのことを、SFチックな夢想を交えて少々考えてみたいと思います。
カタカナは平安時代初期の天平勝宝年間(西暦749-756年)に、吉備真吉備が50音図と共に選定したと伝えられています。 しかしこれはあくまでも伝承で、実際には当時の多くの学者が協力して選定したと思われます。 そして「片仮名」という呼び名は、漢字の一部を取って作ったため、「片方だけの仮名(仮の文字あるいは借りた文字)」からきているとされています。
カタカナは漢文を訓読するための補助文字として作られた文字で、原則として漢字と一緒に使用され、カタカナだけで文章が書かれることはありませんでした。 そして、当時の日本では漢文を公式記録用の文字体系として用いていましたから、カタカナも公式補助文字として位置づけられ、主として公式の文章や学問的な堅い内容の文章に用いられました。
現在でも法律などのお堅い文章には漢文調の漢字+カタカナ文が用いられていますが、これは漢文とカタカナが公式文字体系だった名残です。(これについては、最近、ようやく改善の動きが見られます)
カタカナは非常に安定した文字で、最初は様々な字体がありましたが、平安時代中期には既に現行に近いものに整備され、以後はほとんど変化していません。 漢字のような表意+表音文字から表音専門の常用文字が作られ、それが定着するまでには、通常、千年単位の時間が必要ですから、このカタカナの安定性は驚異的です。 例えば韓国のハングル文字は、公式に制定されたのは1446年ですが(実際にはそれ以前から作られていました)、民衆の間に定着したのは第2次世界大戦後(1945年以後)ですから、500年以上の年月がかかっています。
ちなみに50音図は、日本語の音韻構造を明確にするために、漢字の反切表(漢字の音韻を研究するための表)や、悉曇学(しったんがく、梵語つまりサンスクリット語を研究する学問)の音韻表を参考にして、カタカナの選定とほぼ同時に作られたものと思われます。 この50音図とカタカナを作る段階で、音韻の研究から濁音と半濁音を「゛」と「゜」で表す、日本独特の表記法が発明されたのではないでしょうか。 したがって50音図はカタカナで書くのが本来で、「いろは歌」はひらがなで書くのが本来でした。