選挙事務所に戻ると、すでに選挙速報会の準備がすっかりできていて、開票速報用のボードに開票速報を書き入れるばかりになっていました。 そしてそのボードの前に大勢の支持者が集まって、ワイワイガヤガヤと盛り上がっていました。 僕は早速司会進行役になって、開票状況を簡単に説明しました。 そしてそのうちに中間報告があるはずだから、期待して待っていて欲しいと、かなりベタなヒキセリフで報告を終わり、後は支持者達が勝手に盛り上がるに任せました。 田舎の選挙では、こういったクサイ演出がやたらと受けるのです。
午後10時頃、開票場の連絡係から1回目の中間報告が入りました。 連絡は速報会場になっている選挙事務所の隣の、現町会議員Mさんの家の電話に入りました。 速報会場はうるさいので、会場の電話はあえて使わないようにしたのです。 僕はベタなヒキセリフで司会進行役を中断すると、他の幹部と一緒にその電話の前に陣取り、連絡係からの連絡を待っていました。 1回目の中間報告は、どの候補の獲得票も同じ200票という、拍子抜けするようなものでした。 実はこの中間報告は、選挙管理委員会が意識的に全ての候補者の票を揃えて発表したものです。 実際にはこの時点での各候補者の票はバラバラでしたが、あえて同じ票にして発表したらしいのです。
その中間報告を、記入係のスタッフが開票速報用のボードに記入しました。 スタッフが数字を書くたびに、まるで合格発表を見る受験生のように、支持者達から歓声が上がります。 そしてスタッフが最後の候補者の獲得票を書き終えると、支持者達から拍子抜けしたような落胆の声が上がり、それがすぐに苦笑いのような笑い声に変わりました。 そう簡単に結果を予想させないぞという意味なのか、それとも選挙関係者をやきもきさせ、速報会場を盛り上げようという狙いなのか、選挙管理委員会もなかなかヒキが上手です。
開票状況の中間報告は開票会場で発表されると同時に、インターネット上の町の公式サイトでも発表されることになっていました。 そのサイトには、開票速報以外に投票所別投票率の速報も発表されていました。 このインターネットを利用した選挙状況の速報は、今回の選挙から取り入れられた初の試みです。 このインターネット速報のことは事前に公表されていたので、僕は家のパソコンセットを選挙事務所に持ち込み、選挙事務所の電話回線を利用してインターネットに接続する準備を整えておきました。 そして司会進行役の合間にサイトにアクセスし、選挙速報が更新されるたびにそれを印刷してみんなに配りました。
僕等の陣営のスタッフは、候補者のRさんの子供達を別にすれば僕が一番若く、平均年齢は60歳をはるかに超えていました。 この年齢構成と土地柄のせいで、パソコンを扱うことのできる人がほとんどいなかったので、僕のやることをみんなが物珍しそうに眺めていました。 これは今回の選挙に限ったことではなく、区長をやっていた時に、自治会関係の書類をコンピュータで作成していた時も同じような状態でした。 この町に住んでいると、ここは本当に21世紀の日本だろうか、ひょっとしたら江戸時代か明治時代にタイムスリップしてしまったのではないだろうかと、ふと疑問に思う時があります。
過去の例から考えて、今回の選挙のボーダーラインは500票前後であり、600票取れば当選確実だろうと選挙幹部は胸算用していました。 電話作戦などを参考にした事前の票読みでは、ほぼ確実な票は400票程度でした。 しかし選挙運動を通してかなりの手ごたえを感じていたので、だいたい700票くらい、うまくいけば800票くらいはいくのではないかと、参謀のGさんとPさんは予想していました。
票読みに関連して、選挙速報会場で獲得票予想クイズが行われました。 これは、選挙スタッフや事務所に集まった支持者が、候補者の獲得票数を予想するクイズで、選挙のたびに行われてきた恒例行事だそうです。 まず開票前にスタッフや支持者に紙切れを配り、予想獲得票数と名前を書いてもらい、第1回目の中間報告前に集めておきます。 そして開票後、最も近い予想をした人に簡単な賞品を出すというものです。 これはお祭りの時に行われる福引や、盆踊りなどの行事の最後に行われる参加賞目当てのくじ引きと同じようなものです。 こういう行事をみると、田舎の選挙はまさにお祭りと同じようなものだということがよくわかります。
司会進行役の僕が第1回目の中間報告前に紙切れを回収し、幹部でみんなの予想を整理しました。 大方の予想が700〜800票に集中していましたが、中には1000票と威勢の良い予想をしている人もいれば、400票程度の悲観的な予想をしている人もいました。 400票ではほぼ確実に落選ですから、その予想をした人は、Rさんが落選すると予想していることになります。 クイズに参加した人は選挙スタッフと支持者ばかりですから、落選を予想している人がいるとは意外でした。 参謀のGさんなどは、
「落選を予想するとはけしからん!p(-"-)」
そうこうしているうちに、午後10時30頃、開票会場の連絡係から第2回目の中間報告の電話が入りました。 電話を受けたスタッフが、メモ用紙に各候補者の票数をメモしていきます。 電話の前に集まった僕等幹部は、今度は少しは傾向がわかるのではないかと、固唾を呑んでそれを見守っていました。
僕等が見守る中で、スタッフがRさんの票数をメモし始めました。 そして最初に数字の8を書いた瞬間、僕はその続きを見届けずに選挙速報会場にダッシュしました。 1回目の中間報告が200票ですから、8から始まれば必ず800票以上であり、当選確実に決まっています。 当選確実となれば、自宅で待機しているRさんにスタッフが連絡を入れ、選挙速報会から当選祝賀会に移行することになっています。 僕は当選祝賀会の司会進行役も兼ねていますから、選挙速報会場に待機していなければなりません。
司会進行役の僕が会場に戻ってきたので、詰めかけていた人達もそろそろ2回目の中間報告があるらしいということに気づき、僕に色々と質問してきました。 もちろん僕は、そういった質問には言葉を濁してはっきりとは答えませんでした。 やがて記入係のスタッフが現れて、開票速報用のボードに2回目の中間報告を記入し始めました。 そしてRさんの獲得得票数を800票と記入し終わったとたんにどよめきが上がり、すぐに会場は歓喜に包まれました。
記入係が全ての候補者の獲得票数を書き終わると、参謀のGさんとPさんが現れて、Rさんの当選確実を宣言し、これからRさんに知らせたいと報告しました。 そしてその当選確実宣言からほどなくして、Rさん夫婦が会場に姿を現すと、会場から大歓声がわき起こり、誰からともなくバンザイバンザイの大合唱が起こりました。 本当にクサくてベタな演出ですが、選挙ではこういったベタな演出が見事に決まるのです。 実際、このベタな演出を仕掛けた張本人であるGさんや、演出であることを知っているRさん夫婦でさえ、感激して涙を浮かべていたほどです。
今回の選挙の中間報告は午後10時と午後10時30分の2回だけで、午後11時には最終的な得票数が確定していました。 Rさんの最終的な得票数は856票であり、23名の候補者中10番目という予想以上に見事な成績でした。 そして例の得票数予想クイズの最も近い予想は858票というもので、これまた見事な予想でした。 この予想をした人は、現町会議員のMさんの選挙でも最も近い予想をしたことがあるそうで、票を読む能力に長けた人のようです。
何かと因縁があった隣の地区の候補者Tさんは903票を獲得し、7番目の成績でした。 この結果を見た参謀のGさんは、
「隣の地区が、今までどおり全面的にこちらの候補者を応援してくれたら、この結果は反対になったのに……!p(ToT)」
選挙結果を冷静に見ると、僕が付き合った経験から「悪徳政治家」という感じの人や、強引な選挙運動をしている人は、大体において上位にいて、真面目な政治家や、市民派で草の根型選挙運動をしていた人は、大体において下位にいるようでした。 そしてそういった選挙結果は、現在の選挙という仕組みの矛盾点をそのまま反映しています。 現在の選挙という仕組みは、要するに「悪どい人が勝つ(^^;)」という仕組みなのです。 実際に選挙運動を経験すると、このことがよくわかります。
今回の選挙の最終的な投票率は61%であり、全投票数17544票のうち無効票が213票、不受理票が1票でした。 町議会議員選挙は他の選挙に比べると1票の重さが格段に重く、当落の得票数差も小さくなりがちです。 今回の選挙でも当選ラインは500票弱で、最下位当選と最上位落選の差がたったの5票でした。
このため選挙運動では1票を非常に大事にし、議員も住民ひとりひとりを大切にして個人の意見をよく聞きます。 その結果、議員と住民との距離が近くなり、住民ひとりひとりの意見が政治に反映されやすいことになります。 何せ、国会議員や県会議員に対する住民ひとりの重みは何万分の1にすぎませんが、町会議員では500分の1もあるわけですから、自分の意見が採用される確率も大きいわけです。 しかしその代わり議員は特定の地区の利権を代表する存在になり、地元意識が非常に強くなります。 そしてその結果として、町全体を見渡す広い視野で政策を考えるということがなくなり、視野が狭くて地域エゴの強い議員が多くなります。
選挙という仕組みには住民の地域エゴが反映されやすく、その意味では住民の意識が如実に反映されます。 「政治が悪い」とか「政府が悪い」という嘆きをよく耳にしますが、そのような政治家を選んだのは結局のところ住民であり、政治家は住民の意識を反映する鏡にすぎません。 選挙というものは、ある意味で候補者が住民に試される場ではなく、候補者という鏡を通して住民のレベルが試される場だということができると思います。 「国は、その国民のレベルに応じた政府しかもてない」ことと同様に、「地区は、その地区の住民のレベルに応じた議員しかもてない」のであり、議員を見ればその地区の住民のレベルがよくわかります。 これは自治会活動や選挙活動を通してつくづく感じた、僕の実感です。
さて、当選確実が決まってRさん夫婦が事務所に登場すると、選挙速報会はそのまま当選祝賀会兼打ち上げ会に移行しました。 出陣式や個人演説会と違って、打ち上げ会はある程度の手順は決めてありましたが、場の雰囲気に合わせて司会者の僕が臨機応変に進めました。
まず最初に候補者のRさんが選挙スタッフと支持者にお礼の挨拶をし、その後で参謀のGさんがスタッフの担当責任者にお礼の花束を渡しました。 この時、Gさんは、担当責任者だけでなくウグイス嬢や選挙カーの運転手など、重要な役や面倒な役をしたスタッフ全員に花束を渡しました。 Gさんは選挙運動中も常にこういった気配りをしていて、さすがと感心しました。 会社などと違って選挙スタッフは全員がボランティアですから、面倒な役を担当した人にはそれなりの心遣いをしてあげる必要があるのです。 これは自治会活動などでも同様であり、僕も区長をしていた時には、なるべくそういった気配りをしようと心がけていました。 でもGさんのそういった気配りはより徹底していて、見ていて非常に参考になりました。
その後、後援会会長のNさんと選挙事務長のCさんが抱える必勝ダルマに、Rさんが目を入れました。 これで出陣式の時に片目を入れたダルマの両目が開き、見事に満願成就したわけです。 ダルマの目入れが終わると、次に鏡割りを行いました。 前節で説明したように、樽酒の蓋は、木槌で軽く叩くだけで割れるように細工がしてありました。 このため鏡割りは見事に成功し、早速、中の酒を木の柄杓子で木枡に酌んでみんなに配りました。 しかし木枡は全員の分はなく、しかも縁起物で誰もが欲しがるため、あっという間に無くなり、大部分の人は紙コップを使いました。 僕は司会者の特権を利用して木枡を確保しておいたのですが、司会をしている間に誰かに取られてしまいました。
みんなに酒が行き渡ると、選挙事務長のCさんの音頭で乾杯が行われ、そのまま祝宴へとなだれ込みました。 祝宴では後援会会長のNさんを筆頭に、現町会議員のMさんなどが次々と祝辞を述べました。 そしてその間に、応援してくれた町長や県会議員や市会議員などが、入れ替わり立ち替わりお祝いに駆けつけて祝辞を述べました。 さらに酒がまわるにつれてみんながあちこちで勝手に盛り上がり、司会者の存在など誰もが無視したシッチャカメッチャカの状態になりました。 そこで僕は司会役を止めて記録係に鞍替えし、どさくさにまぎれて色々な記録がなくなってしまわないように、選挙の記録を整理することと、打ち上げ会の写真撮影に徹することにしました。
事務所開きの時、Rさんを応援してくれる地方政界の大物や先輩議員から、必勝祈願の書が送られてきましたが、今度は当選祝いの書が続々と送られてきました。 それは必勝祈願の書の「祈・当選」が「祝・当選」に変わっただけで、後は全く同様のものです。 そして必勝祈願の書と同様、それをわざわざ本人が持ってきてくれ、祝辞を述べてくれた人もいました。
やがてお祝いに駆けつける人がいなくなり、支持者の人達も帰ってしまって選挙スタッフだけになると、シッチャカメッチャカ状態がますますひどくなり、打ち上げ会はいつ果てるともなく続きました。 次の日は出勤日だったため、さすがに付き合っていられなくなり、僕は夜中の1時を過ぎたところで家に帰ることにしました。 後で聞いたところ、打ち上げ会は午前2時まで続いたそうです。