玄関小説とエッセイの部屋作品紹介コーナーお気に入りの本−その他

題名をクリックしても、残念ながら本の内容は読めません。(^^;)

○「わたくしの1960年代」山本義隆、金曜日

元東大全共闘代表だった山本義隆氏が、全共闘時代のことを公に著した初めての本です。 本書を読むと、当時、僕も学生運動のまっただ中にいたにもかかわず――まっただ中にいたからこそ?(^^;)――部分的にしかわからなかった東大紛争の実情がよくわかります。

「磁力と重力の発見」(←僕のお気に入りの本です!)という労作を著した、物理学者らしい理詰めの論理は明快であり、相変わらず反権力・反体制を貫く氏の反骨精神は実に痛快です。 ただ当時から何となく感じていた違和感は、本書からも感じられました。 その違和感の正体は、明治以降の「知識人」に共通する無意識のうちの西洋崇拝・東洋卑下の精神に対する反発であり、何よりもその精神を刷り込まれた自分自身に対する反発であることが今でははっきりとわかっています。

欧米列強の植民地政策と帝国主義・資本主義を真似た日本の権力者を糾弾する手段として、やはり欧米発祥であるデモクラシーとデモンストレーションを基盤にし、暴力的な階級闘争を行うというのは結局のところ西洋の真似事にすぎません。 それよりもガンディー翁の「塩の行進」や、我が故郷・豊橋発祥の「ええじゃないか」のような東洋的・日本的かつ非暴力的な民衆運動の方がしっくりくるのではないかと、今の僕には思えるのです。

「ブント(ドイツ語で『同盟』のこと)」とか「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(ドイツ語で『共同体組織(共同体)と機能体組織(利益社会)』のこと)」といった懐かしい用語が頻発する本書を読みながら、

ジャズのブルー・ノートの意味は知っていても、邦楽の本調子の意味を知らない音楽愛好家とか、
エスプレッソとアメリカン(←実は和製英語!)の違いは知っていても、お濃茶とお薄の違いを知らないコーヒー通とか、
クリスマスとかハロウィンの行事は知っていても、左義長とか虫送りの行事を知らない文化人もどきとか、
ISと違って民族服(和服(^^;))を着用せず、西洋の軍服を真似た戦闘服を着用している右翼団体

などのことを、あらためて考えさせられました。

○「予言がはずれるとき」L.フェスティンガー/H.W.リーケン/S.シャクター共著、水野博介訳、勁草書房

認知的不協和理論を提唱した社会心理学者、レオン・フェスティンガー等の古典的名著です。 本書は、認知的不協和理論という心理学分野の有名な理論を、カルト教団に適用して実証しようとした本です。 似非科学者と論争したり、その信奉者を説得しようとしてやたらと苦労した経験のある人は、本書の冒頭の次の文章に大いに共感すると思います。

「堅固な信念を持っている人の心を変えるのはむずかしい。
もし、私はあなたとは意見が違うなどと言おうものなら、その人はそっぽを向いてしまうであろう。
その人に事実や数字を示したとしても、その出処に疑問を呈するだろう。
理論に訴えたとしても、その人は肝心な点を理解できないことであろう。
私達は誰でも、がんこな信念を変えさせようとして、無駄な骨折りをした経験があるものだ」

本書に登場するカルト教団の教祖と信者達の関係は、似非科学の提唱者とその信奉者達の関係とそっくりです。 これらの集団はどちらも、

「新しい知識や事実を受け入れず、自己欺瞞によって間違いを許容し、自らの正しさを強調するために、さらに間違いを再生産する」

という特徴を持っていて、この特徴は認知的不協和理論でうまく説明することができます。

○「アフガニスタンで考える 国際貢献と憲法九条」中村哲著、岩波書店

ペシャワール会現地代表であり、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長の中村哲氏が、アフガニスタンにおける人道的支援活動の内容と国際貢献に関する考え方を紹介した本です。 本書は写真が中心の岩波ブックレットシリーズのひとつで、氏の業績と思想を知るには最適の入門書だと思います。

氏は緒方貞子氏と並んで日本が世界に誇るべき人物であり、僕の尊敬する人物の一人です。 氏と緒方氏の出自と国際貢献に対するアプローチ法は、対照的と言っても良いほど異なっています。 しかし人道的支援活動で国際貢献を行っている点、”熱い心と冷たい頭”を持っている、つまり高い理想を持ちながらも徹底した現場主義者かつリアリストで、人の命を助けるためには自らの危険は顧みず、暴力以外のあらゆる手段を尽くす点——いみじくも、氏は「人の命を助けるためなら、私は犯罪以外なら何でもやる!」と言っています——等、非常によく似ています。

「平和は戦争以上に積極的な力でなければならぬ」という氏の言葉は、緒方氏の「世界の平和は、受身で行動しているだけでは得られないのです」という言葉と同様の趣旨であり、二人が理論だけの平和主義者や感情だけの平和主義者ではなく、地に足をつけた実践的かつ積極的な平和主義者であることをよく表しています。

本書を読むと、アフガニスタンに対するマスコミの報道がいかに情報操作されているかということと、欧米の政治家とそれに追従する日本の政治家が唱える”国際世論”が、いかに欺瞞に満ちた虚構であるかがわかります。 それと同時に、江戸時代に完成された日本の伝統的な農業土木技術が非常に優れたものであること、カネもモノも少ないにもかかわらず、人々が心豊かに、お互いに助け合って平和に暮らす知恵と技術を当時の日本人が持っていたこと、そしてそれこそが現在の国際社会で日本が国際貢献することのできる重要なものであり、自衛隊の海外派遣に代表されるような欧米式の軍事力による国際貢献が全くの欺瞞であり、いたずらに暴力の連鎖を生むものであることを再確認することができます。

軍縮を実現し、外国を侵略せず、身の丈に合った経済状態で満足し、精神文化を発展させ、300年近くも平和な時代が続いた日本の江戸時代は、「豊かな生活のためには経済の発展が必須であり、カネさえあれば幸せになれる」とか、「平和の維持には軍事力が必要であり、武力さえあれば自分の身を守れる」という世界中を席巻している迷信に対する立派な反証であり、欧米式のカネと力崇拝主義に対するアンチテーゼになると思います。

○「緒方貞子−難民支援の現場から」東野真著、集英社新書

元国連難民高等弁務官で、現在は国際協力機構(JICA)理事長を務められている、緒方貞子氏の業績と思想を紹介したノンフィクションです。 著者は緒方氏に関するドキュメント番組を製作したNHK社会情報番組チーフ・ディレクターであり、ドキュメント番組のために行った本人へのインタビューと関係者の証言を中心にして、番組では描き切れなかった緒方氏の思想と人となりを生き生きと描いています。

緒方氏は僕の尊敬する人物の一人で、著者が製作した緒方氏に関する番組は全て観ていましたが、本書を読んで氏の偉大な業績と類稀な人格をより深く知ることができ、あらためて尊敬してしまいました。 NHKのドキュメント番組を観た時に最も印象的だったのは、

「そんなに平和ないい世界に住んでいるんじゃないですよ……20世紀が終わってもね」

という氏の言葉と、この言葉をつぶやくように言った時の氏の複雑な表情でした。 この言葉は本書の中でも紹介されていて、やはり印象的ですが、本書にはドキュメント番組では紹介されなかった言葉や氏の考え方が数多く紹介されていて、

「世界の平和は、受身で行動しているだけでは得られないのです」

という言葉が特に印象的でした。

この言葉は、表面的には前航空幕僚長・田母神俊雄氏の著書のタイトル「座して平和は守れず」と似ていますが、このタイトルが内向きの国家主義(Nationalism)に基づいたものであるのに対して、緒方氏の言葉は外向きの国際主義(Internationalism)に基づいたものであり、基本的な思想と行動原理——敵対と協調、暴力と非暴力——が全く正反対です。

その違いを理解するためにも、緒方氏という類稀なる人物を知ってもらうためにも、多くの人に読んでもらいたい本です。

○「日本幽囚記 上・中・下」ゴロヴニン著、井上満訳、岩波文庫

有名なゴローニン事件に関する本人の手記です。 1816年に出版されるやたちまち欧米でベストセラーになり、現在でも読み続けられています。 日本では絶版になっているためなかなか読むことができませんでしたが、先日、ようやく図書館で見つけました。(^o^)/

本書は、ゴローニンが函館に幽閉されていた間に見聞したことを冷静かつ客観的に記述したものであり、幽閉生活だけでなく、当時の日本の風俗習慣、国民性、社会制度、国家体制などにも言及しています。 手記の最後に日本の国家と日本人論が延べられていますが、その鋭い分析と深い洞察には本当に驚かされます。 特に日本の将来を予見した部分のうち、悪い方向に進んだ場合の予見は、明治以後の日本の動向をものの見事に言い当てていて、驚くほかはありません。

この本を読むと、江戸時代という時代がいかに平和で文化的であったか、この時代の日本人がいかに高潔かつ聡明で人間愛に溢れていたかということがわかり、明治政府が国民に信じ込ませようとした「封建的で野蛮な暗黒時代」という偏見が、いかに欺瞞に満ちたものであるかがわかります。

この日本語訳版には、ゴローニン事件のもう一人の当事者であるリコルドの手記も収録されています。 この手記はゴローニン事件に関する対日折衝記であり、事件解決の立役者である髙田嘉兵衛の高潔な人間性と、巧みな外交手腕を浮き彫りにしています。 この手記は、ある意味で著者と髙田屋嘉兵衛の友情の記念碑のようなものであり、二人の間の国家も民族も超えた深い友情と強い絆に感動させられます。

これらの手記を主要な元ネタにして、髙田屋嘉兵衛の生涯を描いた小説が司馬遼太郎の「菜の花の沖」であり、テレビドラマ化もされています。 個人的には、小説よりもテレビドラマよりもゴローニンとリコルドの手記の方が断然面白く、かつ感動的でした。司馬遼太郎は、物語の構成とストーリーテリングは巧いのですが、人間描写が少々浅いんですよね。 (^^;)

最後に、ゴローニン等の釈放に際して、松前奉行・服部貞勝がゴローニンに送った祝辞の中の印象的な言葉を紹介しておきましょう。 この言葉は、「日本幽囚記」によって広くヨーロッパに紹介された有名な言葉です。

「各国それぞれ相異なる習慣を有しているが、真に正しきことはいずれの国においても正しきものと認められる」

○「ウチの娘に手を出すな!(8 simple Rules for Dating My Teenage Daughter)」W・ブルース・キャメロン著、小川敏子訳、サンマーク出版

図書館で偶然見つけた本です。 題名に惹かれて何気なく拾い読みしてみたら、あまりに面白いのですっかり夢中になって読み切ってしまいました。 内容は、次のような本書の宣伝文句が的確に表しています。

パパの愛とは、カッコ悪くて当然なのだ。 ウザイと避けられ、クドイと逃げられ、心配すれば無視されて、ヘソ出しルックに度肝を抜かれ、彼氏ときけばハラハラし、小遣いだけは、ちゃっかりねだられ…。 だけど絶対、憎めない。 娘よ、おまえはナニモノなんだ? アメリカ気鋭のコラムニストが贈る、父は涙、娘は爆笑のユーモア・エッセイ。

本書を読むと、年頃の娘を持つ父親というものは、洋の東西を問わず、全く変わらないものだと痛感します。 もし、どこかで著者のキャメロン氏に会ったとしたら、ほろ苦い微笑を浮かべ ながら、

「やあ、同志! 僕は、あなたの見解に全面的に同感です!」

と、肩でもたたき合うことでしょう。

この本を読むと、結局、どうあがいても父親に勝ち目はないのだということを、しみじみと痛感します。 何しろ相手には自然の摂理という強い見方がついているのだから、どだい勝てるわけがありません。 それがわかっていながら、何とか自然の摂理を食い止めようと無駄な努力を続け、家族から白い目で見られてしまうのが父親です。

だって仕方がありません、何しろ父親なんですから…!

○「父は空 母は大地[対訳版](Chief Seattle's Speech 1854)」寮美千子/編・訳、パロル舎

有名なシアトル首長のスピーチの対訳版です。 昔の英語の授業の副読本のように(^^;)、左のページに和訳文、右のページに英語文が載っています。

1854年、アメリカ合衆国の第14代大統領フランクリン・ピアスは、3年間に及ぶ先住民達との戦いの末、先住民達の土地を買収し、居留地を与えると申し出ました。 それまで白人の侵略者達に対して抵抗してきたシアトル首長は、これ以上の戦いは無益と判断して大統領の提案を受け入れ、部族を引き連れて居留地へと移動しました。 その時、大統領に伝えて欲しいと語ったのがこの感動的なスピーチです。

このスピーチは非常に有名なので以前から知っていましたが、対訳版があると知り、原語で読みたくなって買いました。 原語といっても、シアトル首長はネイティブアメリカンですから、当然、ネイティブアメリカン語(正確にはスクオミッシュ語)で語っており、それを白人の入植者が英訳したものです。

英文を読んでみて、もちろん僕の語学力の無さのせいも大いにあるのでしょうが(^^;)、英文よりも和文のほうが圧倒的にしっくりくる感じです。 シアトル首長が語った自然観や世界観は、日本人、あるいはもっと広くモンゴロイドにとっては昔から慣れ親しんできた馴染み深いものです。このアニミズム的な自然観と明鏡止水の境地を思わせる達観は、コーカソイドの言語では正確には表せないような気がします。

同じような思想を語った岡倉天心の「茶の本」も英文と和文の2種類がありますが、内容的にやっぱり和文のほうがしっくりきます。 そして「茶の本」が僕の座右の書のひとつであるように、この本も座右の書のひとつになりそうです。

○「君について行こう」「続・君について行こう 女房が宇宙を飛んだ」向井万起男、講談社+α文庫

”宇宙飛行士・向井千秋の亭主”というのが最大の肩書きと潔く認め、「女房はオレがいてもいなくても宇宙に行ったに違いないから、内助の功なんてものは無い」と公言する向井万起男氏が、妻である日本初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんの1回目の宇宙飛行について書いた、ユニークでめったやたらと面白い宇宙飛行エッセイとその続編です。

言動・風貌ともにユニークな著者は、驚いたことに豊かな文才と類稀なユーモアセンスに恵まれており、千秋さんとの出会いからスペースシャトルの打ち上げまでを軽妙洒脱な文章でさわやかにつづっています。 宇宙飛行士に関して書かれた本でこれほど面白いものはめったになく、本書を読む前までは宇宙飛行士関係の本で一番お気に入りだったトム・ウルフの「ライトスタッフ」を抑えて、最もお気に入りの本になってしまいました。

続編の方は打ち上げから地球への帰還、そして2回目の宇宙飛行の前までを、例によって軽妙洒脱な文章でさわやかにつづっています。 前作と比べると宇宙飛行士オタクを自認する著者の趣味がより強く現れていて、宇宙飛行士に関する珍しいデータやエピソードが豊富に語られています。 特に著者が最も好きな宇宙飛行士というジョン・ヤングに関するエピソードには、男のロマンを感じてけっこうグッときました。

また”宇宙飛行士・向井千秋の亭主”という肩書きに加え、”自分の女房を専門とするライター”という肩書きまで付けて全くわびれるところのないのが、いかにもこの人らしくて実にいいです。 (^o^)v

どちらも、宇宙飛行に興味のある人はもちろん、あまり興味の無い人にもぜひ一読をお勧めしたい本です。

○「漢字と日本人」高島俊男、文春新書

本来は中国語(漢語)を書き表すために作られた漢字を、全く言語体系の異なる日本語に無理矢理取り入れたために生じた功罪を、漢字と日本語の歴史をたどりながら軽妙に論じたユニークな日本語論です。 博学な知識に裏打ちされた漢字と日本語に関する解説には、軽妙でありながら深い含蓄が含まれていて、横丁の物知りなご隠居に薀蓄話を聞かされているような趣があります。

「日本語の化学」とこの本を読み合わせますと、日本語という言語の特殊性と難しさが良くわかると思います。 ただ「日本語の化学」とこの本の大きな違いは、日本語の特殊性を踏まえた上で、日本語の変化を肯定的にとらえているか、それとも否定的にとらえているかという点です。 この本では変化を否定的にとらえていますので、変化肯定派の僕としては、非常に教えられることの多い本ではありますが、著者の主張に根本のところで賛同できないのは実に残念です。(~.~)

○「日本語の化学」岩松研吉郎、ぶんか社

「日本語は古いピジン・クレオール語(いんちきイングリッシュ)の一種であり、伝統的な正しい日本語などというものはなく、変わり続けるのが伝統だ」という著者の主張を、実に豊富かつ適切かつユニークな例を挙げて解説した、とにかくメッチャ面白い本です。 この本は僕の持論である「言葉は生き物である」を深く詳細に展開し、具体例で実証してくれたもので、僕は我が意を得たりと思わず喝采を挙げてしまいました。

「言葉というものは本来、善悪・正邪で測るものではなく、好きか嫌いかでしか判断できないものである。 ”若者の言葉は乱れている”という主張は、実は若者の言葉が自分がなれてきた言葉とは違うため、よくわからない・違和感がある→嫌いだ→乱れていると、好き嫌いを善悪・正邪に飛躍させているにすぎない。 こうした論理の飛躍はおかしい」という主張には、諸手を挙げて大賛成です。\(^o^)/

「日本語の化学」という難しげな題名と、慶應義塾大学文学部教授という著者の肩書きにビビって、何となく敬遠してしまうかもしれませんが、この著者があの「磯野家の謎」の著者でもあることを知れば、読んでみようという気になるかもしれません。 日本語に興味のある方には、ぜひ一読をお勧めします。