優秀な惑星科学者であると同時に、卓越した科学啓蒙家カール・セーガンの遺言的エッセイです。 この本を出した翌年、彼は62歳で惜しくも亡くなりました。 そのため沈着冷静な彼には珍しく、本書にはこれだけは言い残しておかなければならないという切羽詰った心情や、子供時代の思い出を懐かしく語るセンチメンタルな情感が漂っています。
宇宙人による誘拐、ミステリーサークル、交霊術、テレパシー、超能力、ネイチャリング、占星術、魔女狩り等々の、相変わらず世にはびこる似非科学やトンデモ話をひとつひとつ論破し、「科学する心すなわち懐疑する精神と不思議さに感嘆する感性」を養わなければ人類の未来はない、科学者の責任は非常に重いという渾身のメッセージを我々に投げかけています。
僕は、彼が全幅の信頼を置く西洋型科学と欧米型民主主義に対して彼ほどの信頼は置いておらず、人類という種に対してもペシミスティックな見方をしていますので、彼の主張に全面的に賛同することはできませんが、大半の主張には我が意を得たりという感じで、相手かまわず読んで聞かせたい思いに駆られてしまいました。
三内丸山遺跡の発掘責任者として有名な岡田康博氏が、遺跡の過去、現在、未来を総合的に解説した一般向け解説書です。 遺跡の学問的意義、遺跡を保存し公開する上での色々な諸問題、そして市民参加型遺跡としての将来像まで具体的に詳しく解説していて、当事者ならではの熱意と責任感、そして何よりも遺跡に対する深い愛情が感じられます。
三内丸山遺跡の発見によって勇気づけられ、あらためて地元に誇りを持つことができた青森県の人や東北地方の人は多いと思います。そしてそういった人達がボランティアとして遺跡のガイド役を務めるという三内丸山遺跡の運営方法は、市民参加型遺跡のひとつのあり方を示しているように思われます。 その意味で、「遺跡なしでは地域の歴史は語れない。だからこそ、どんな遺跡でも最善を尽くして発掘調査せよ」という著者の父親の教えを忠実に守る著者の姿には、ついつい応援したくなるものがあります。
日本における農耕文化の起源は弥生時代の稲作の渡来であるという定説を、三内丸山遺跡をはじめとする縄文遺跡で発掘されたクリの実が、人の手によって栽培された可能性が高いということをDNA分析によって証明して覆し、考古学界に衝撃を与えた農学者・佐藤洋一郎の縄文農耕論です。 興味を持っている分野なので発行とほぼ同時に買ったのですが、区長の仕事で忙しく、とりあえずざっと目を通しただけで積んでおいて、最近になってようやくじっくり読むことができました。
一般向けの解説書なので、考古学や生物学の知識がなくてもある程度理解できるように書かれていますが、内容を本当に理解するには、やっぱり考古学の基礎的な知識と生物学のやや専門的な知識(とくに遺伝学と分子生物学分野)が必要だと思います。 そういった知識がある程度あり、考古学と生物学の両方に興味のある人には特にお勧めです。
青森、秋田、網走、そして札幌と、4つの刑務所を脱獄した昭和の脱獄王・白鳥由栄(しらとりよしえ)の驚嘆すべき脱獄劇を、本人の証言を基にして克明に描いたノンフィクションです。 2002年の夏、下の娘の下宿をネジロにして家族で北海道旅行をした時、網走刑務所博物館の売店で見つけて買ったもので、帯に書かれたキャッチコピー「ここから逃げた!ここでしか売ってない!」が、なかなか傑作でした。(^^;)
日本の刑務所の非人間性と、白鳥の脱獄の手口はとにかく驚くべきもので、「事実は小説よりも奇なり」そのものです。 これまでに刑務所を舞台にした映画や小説はわりと観たり読んだりしましたが、これほど凄絶なものはありませんでした。 これを映画化したら絶対面白いのに……と思ったら、以前、緒方拳の主演でTVドラマ化されたとのことです。
くっそー、どっかで再放送してくれんかなぁ…!p(~o~)
ハッカー用語を中心にしてハッカー文化について解説したユニークな解説書です。 この本を読みますと、マスコミが間違って一緒くたにしてしまっている「ハッカー(hacker、優秀なプログラマー)」と「クラッカー(cracker、システムのセキュリティ破り)」の違いがよくわかります。
またハッカー達はMS-DOSベースで発展したBBS文化(パソ通文化)と、UNIXベースで発展したインターネット文化(ただし、一般公開されて商業目的にも利用される以前の、専門的かつプリミティブなもの)とをはっきり区別していることもわかります。 このあたり、一般人から見ると同じ部類に属すのに、その中にいる人は、一見、どーでもいいような細かい差異にこだわりとプライドを持っているということは、コンピュータ分野にかかわらずどの分野でもあることで、僕自身にもその傾向が大いにあるので共感できる部分が多々あります。
内容が内容だけに訳者も凝っていて、「第3版(2002年日本語版)への訳者あとがき」は、何と「第2版(1995年日本語版)への訳者あとがき」に対するsed(UNIXのストリームエディタ、文字列を置換するコマンドがある)バージョンで書かれています。
「やられた、こんな手があったとは…!p(~O~)」と地団太踏みつつ、訳者に脱帽!m(__)m
名古屋大学環境医学研究所・付属宇宙医学実験センターの森滋夫教授が書かれた、宇宙医学に関する恐らく本邦初の一般向け解説書です。 森先生は我が国の宇宙医学研究の草分けかつ中心的存在であり、日本人初の宇宙飛行士・毛利衛さんが乗り込んだスペースシャトル・エンデバーにおける「鯉を使った宇宙酔いの実験」と、日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんが乗り込んだスペースシャトル・コロンビアにおける「金魚を使った宇宙酔いの実験」の提案者としても有名です。
宇宙飛行ではどうしても見た目が派手でマスコミ受けする面だけが注目されがちですが、宇宙医学研究のような地味ながら重要な研究の積み重ねが宇宙飛行士の安全を陰で支え、ひいては将来人類が宇宙に進出する時の基盤になるということが本書を読むとよくわかります。
宇宙酔いの実験で使われた鯉と金魚は僕が今住んでいる弥富町が提供しましたので、以前から森先生の実験には特別興味を持っていました。 しかし、例によってマスコミは地味な実験結果はきちんと報道しませんので欲求不満に陥っていましたが、本書によってその結果の一部がわかり、多少なりとも欲求不満が解消された思いです。
厳冬のマッキンリーに消えた、敬愛する冒険家・植村直己氏のさわやかでみずみずしいエッセイです。 本書は彼を一般人の間にも有名にした北極点単独行とグリーンランド縦断を成し遂げる前に書かれたものですが、それだけにじっくりと熱意を持って書き上げられ、誰からも好かれる氏の人間性がよく表れた感動的な内容になっています。
アマゾンの筏下り、日本人初のエベレスト登頂、世界初の五大陸最高峰登頂といった破天荒な冒険の記録としてはもちろん、歯がゆいほど謙虚で引込み思案で自分に自信の持てない小心な人間が、ひたすら一途にしつこくコツコツと頑張って大きなことを成し遂げ、ついには誰も考えなかった大きな夢を抱くに至るという、人間的な成長の記録としても読むことができ、色々な意味で勇気を与えられます。
本書を読みますと、分野も内容も全く別の上、ノンフィクションではなくフィクションですが、なぜか、こせきこうじの傑作マンガ「ああ一郎」を思い出してしまいます。 実際、その風貌からして、我が愛すべき一郎君は植村直己氏に何となく似ていないことはありません。
一般大衆が抱いてきたコンピュータ像の変遷を映画という切り口から浮かび上がらせた興味深い労作で、『月刊アスキー』に連載されていたものを1冊にまとめたものです。 著者の聖咲奇氏はアミューズメントメディア総合学院で3DCGを教えるかたわら、マルチメディアやゲーム、CGなどの仕事にも携わっている業界人で、父親が映画の看板描きだった関係から、映画に関してはA級からC級まで驚くほど広範な知識を持っています。
この種の本では、未来のコンピュータ像をSFという切り口から浮かび上がらせた坂村健氏(TRONプロジェクトの中心メンバー)の傑作「電脳都市」(1985年、冬樹社)を思い出し、どうしても比較してしまいます。 本書は切り口を映画だけにしぼったため、内容の幅広さとコンピュータに関する解説の的確さという点では「電脳都市」に及びませんが、B級・C級映画に関する思い入れの深さと内容の濃さという点では凌駕しており、よりマニア向けと言えるかもしれません。
付録として載っている「電子頭脳映画リスト」はこの種の映画マニアにとっては貴重な資料であり、それぞれの映画に付けられた著者の一口メモは小粒ながらピリッと辛味がきいていて参考になります。 特に、押井守監督の傑作アニメ「攻殻機動隊」に付けられた「アホにはわからん映画」というコメントには、思わず頷きながら大笑いしてしまいました。
あまりにも有名すぎて今更紹介するのは気がひけますが、僕くらいの年代の人なら誰でも一度は読んだことがあると思われる、どくとるマンボウシリーズの最初の作品です。 とにかく日本の文学では滅多にお目にかかれないユーモアとシャレ心が溢れていて、学校教育のおかげで文学アレルギーになっていた僕に、少しは”文学書”も読んでみようかと思わせてくれた貴重な作品です。 昆虫好きの僕は同じマンボウシリーズの「どくとるマンボウ昆虫記」も大いに気に入り、この二つの作品をきっかけとして北壮夫の本を読み漁った時期がありました。
このマンボウ先生のマンボウシリーズとムツゴロウ先生のムツゴロウシリーズ、そしてガモフの不思議の国のトムキンスシリーズは、いわゆる”理科系”の学生の必読書と言われています。 僕は複雑で多様な人間の能力を、学校教育上の都合から理科系と文科系に2分してしまうのは全くのナンセンスだと思っていて、この単純な2分法が文学嫌いの理科系人間や、理科嫌いの文科系人間を作ってしまう原因のひとつだと思っています。 これらのシリーズを読みますとそういった単純な2分法がナンセンスであることがよくわかりますし、理科系人間とか文科系人間といった思い込みを打ち砕いてくれるきっかけにもなると思います。
いわゆる”理科系”の研究者や技術者や学生は、好むと好まざるとに関わらず論文、レポート、説明書などの文章を書く(あるいは書かされる(^^;))機会が多いと思います。 本書はそういった人達のために、物理学者である著者が理科系の文章を書くコツを具体的かつ懇切丁寧に解説したものです。
人間を理科系人間と文科系人間に2分するのは全くのナンセンスだと思いますが、文章に理科系と文科系があることはナンセンスではありません。 簡潔明瞭で論理的・客観的な表現が要求される理科系の文章を書くには、文章の上手さや心情的・主観的な表現が要求される文科系の文章(小説やエッセイの類)を書く場合とはまた違ったコツが必要になるからです。 従来の文章読本の類はどちらかといえば文科系の文章を書くことに主眼を置いているものが多く、このような理科系の文章向けのものはほとんどありませんでした。
仕事柄、理科系の文章を書く機会が多い僕は、本書を読んだ時は捜し求めていたものにようやく出会えた気がし、以後、文章の書き方が変わってしまうほど大きな影響を受けました。 文章表現のコツだけでなく、論文の構成法から図や表を作る時の注意点、仕事上の手紙の書き方、そして学会講演の要領まで、痒いところに手が届くように懇切丁寧に解説してあり、理科系の研究者にとって実に重宝なありがたい本です。