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No.754 - 804 / 50 件表示


804. Re[803]:[801]:Coreと演算処理 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2009/12/25(金) 17:30:22
なるほど。。。

であれば、SATA4発でRAID0が費用対効果は高いですよ。
ご参考まで。。
データファイル小さければ、高いけどSSDかなぁ。。
スループットで・・もあるかもしれないので、やっぱり新規購入=内需拡大でしょうか(笑

http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000014805/SortID=9361625/

803. Re[801]:Coreと演算処理 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/23(水) 13:31:17
>通りすがり(^^;;さん

>>演算処理メインなんですね。
>>だったら、やっぱりコア数で勝負かな。。と。

 Coreの演算速度はやっぱり魅力ですね。近い将来にマザーボードとCPUを新しくする
時の有望な選択肢の一つだと思います。

 ただし現在行っている処理は、演算メインというよりもデータのI/O処理メインと
いった感じなんですよ。

 例えば現在最も時間がかかっている処理は、28万行×200列程度のデータファイルが
30種類ほどあり、各ファイルごとに次のような処理を連続して行うものです。

1.データファイルを読み込み、28万×200要素のリスト構造として記憶する。
2.各要素ごとに指数計算を10回程度行う。
3.その結果から100×100程度の行列を作り、行列計算を10回程度行う。
4.2番から3番の処理を20〜30回程度繰り返す。

 この処理は全体で3〜4時間程度かかりますが、処理時間を分析したところ、そのう
ちの8割程度は1番のI/O処理に費やされていて、2番と3番の演算処理は2割程度なんで
すよ。とにかく、処理中はHDDのアクセスランプが点滅しっぱなしです。(^^;)

 このためCPUを高速化するよりも、HDDを例えばSDD(フラッシュドライブ)のように
読み込み速度の速いものに替える方が効率的ではないかと思っています。

 SDDがHDD並に低価格になり、読み書きの速度が向上して内蔵ディスクとして気楽に
使えるようになってくれれば、HDD買い替え時の有望な選択肢の一つになると思いま
す。

                         とものり

802. Re[800]:研修医給与 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/23(水) 12:41:23
>山本直樹先生

>>このデータは12月18日に開催された、厚労省の医道審議会医師分科会医師臨床研修部会
>>で公表されたものです。
>>ある数値グループを、言葉であらわすためには正規分布になっていなかったら
>>中央値と平均値、最低値、最大値が重要です。今回の発表ではそれがきちんとでて
>>います。
>>なぜ勤務医と開業医の年収で平均値のみで中央値の発表はないのでしょうか?

 給与とか所得は有名な「パレートの法則(全体の2割の人が8割の所得を所有してい
る)」に従っていて、だいたい対数正規分布することが多いですね。

 そのような分布では平均値は中央値よりも大きくなりますから、平均値だけを示さ
れると誤解の元になりますね。

 でも給与分布などでは、たとえ正規分布している場合でも、全体像を把握するため
には平均値と中央値に加えて最小値と最大値を提示して欲しいですよね。

 普通のサラリーマンと比べると、医師の給与は分布の幅が広く、最小値と最大値の
差(範囲)がかなり広いのではないかと思います。

 ただし医師は労働時間がやたらと長いですから、単位時間あたりの給与を比較する
と、普通のサラリーマンとあまり変わらないのではないかと思います(マクドナルドの
名目だけの店長並という話もありますよね(^^;))。

                          とものり

801. Re[799]:[798]:USBアダプターと切り替え器 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2009/12/21(月) 19:24:35
演算処理メインなんですね。
だったら、やっぱりコア数で勝負かな。。と。
単純には1時間が15分は魅力かと(^^;;
もちろんクラスタリングもあり・・ですが。
http://todotani.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/core2_quad_1020.html

800. 研修医給与 投稿者:山本直樹 投稿日:2009/12/21(月) 16:25:57
【2007年度研修医給与】
1年次:平均値410万円、中央値390万円、最小値204万円、最大値1075万円
2年次:平均値462万円、中央値420万円、最小値218万円、最大値1373万円
全国の大学病院と臨床研修病院1072施設への調査で、こんな結果が明らかになりました。
このデータは12月18日に開催された、厚労省の医道審議会医師分科会医師臨床研修部会
で公表されたものです。
ある数値グループを、言葉であらわすためには正規分布になっていなかったら
中央値と平均値、最低値、最大値が重要です。今回の発表ではそれがきちんとでて
います。
なぜ勤務医と開業医の年収で平均値のみで中央値の発表はないのでしょうか?

799. Re[798]:USBアダプターと切り替え器 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/21(月) 10:54:46
>通りすがり(^^;;さん

>>あと裏技として、USBグラフィックアダプターを使って・・
>>でもよかったかもしれません。Linuxのドライバ出ているものもありますしね。

 パソコンショップでUSBアダプターも選択肢として紹介されましたが、最新のハード
ウェアをLinuxで使うといつも苦労させられるので敬遠したんですよ。(^^;)

 でも、Linux用ドライバが出ているとは知りませんでしたね。

>>最新のPC。速度早くなり、メモリも十分。かつ安い(−−;;
>>切り替え機使うより遥かに快適ですよ。。

 Linuxマシンでは1回の計算に1時間以上かかる計算をするため、これまではLinuxマ
シンとWinマシンを独立させておいた方が使い勝手が良かったんですよ。

 でも、一応保険のためにLinux上でwineを作動させたり、Win上でcygwinを作動させ
たりして、もし一方のマシンがダメになっても、もう一方のマシンだけで何とか仕事
できるような環境だけは整えているんですよね。

 ハードウェアが飛躍的に進歩しているので、近い将来にはVMwareも選択肢のひとつ
になるでしょうね。

                          とものり

798. Re[797]:Winマシン用ビデオカードとPC切り替え器 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2009/12/21(月) 04:33:22
ご無沙汰しております。。

確かに時代の流れ速いので、AGPは×ですね。
ヤフオクとかで流通してるのをGETするとか。。
あと裏技として、USBグラフィックアダプターを使って・・でもよかったかもしれません。Linuxのドライバ出ているものもありますしね。
http://japanese.engadget.com/2009/05/14/displaylink-usb-100/

私の場合はWEB屋なんで、Linux,BSDはVMwareの中へ入れてWin上で・・です。どうしても・・の場合は検証用サーバー立てますが。。
  ※現在もAtomサーバー構築中。。帰れない。。。(泣

最新のPC。速度早くなり、メモリも十分。かつ安い(−−;;
切り替え機使うより遥かに快適ですよ。。

以上ご参考まで。。。

797. Winマシン用ビデオカードとPC切り替え器 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/16(水) 18:20:16
 実は、Winマシンにビデオカードを装着するには少々問題がありました。Winマ
シンのマザーボードは古いため、現在主流のPCIExpressスロットではなく、一昔
前のAGPスロットしかありません。

 大須のアメ横で尋ねたところ、現在はAGPインターフェイス用のビデオカード
はほとんど発売されておらず、中古品としてもほとんど出回らないとのことでし
た。(~o~)

 現在のマザーボードはアナログ出力とデジタル出力の両方を備えているものが
多いので、AGP用ビデオカードの中古品を探すよりも、むしろマザーボードを替
えてしまった方が効率的で、値段も数千円程度余分にかかる程度だということで
す。

 しかしマザーボードを替えると、たいていはCPUも替えることになり、結局の
ところシステムの総入れ替えになってしまう可能性が大いにあります。近い将来
にはそれをする必要があるでしょうが、現在のところはまだその気になれません。

 そこで店員が薦めてくれたのが、標準的なインターフェイスであるPCI用のビ
デオカードの中古品GF8400GS-LP512H/HS(GPU:nVIDIA GeForce8400GS)でした。こ
のビデオカードもアナログ出力とデジタル出力の両方をサポートしています。

 それをPCIスロットに装着し、DVI端子にモニタを接続してWindowsを立ち上げ
たところ、ロゴマークが表示されたところで止まってしまいました。

 これもある程度は予想していたことなので、nVIDIAの日本語ウェブサイトから
最新版のWindowsXP用ドライバーをダウンロードしてインストールしました。そ
して再起動すると、今度は無事に立ち上がりました。\(^o^)/

 これでLinuxマシンもWinマシンもデジタル接続になったので、デジタル用PC切
り替え器を購入して、両方のシステムでモニタを共有することができました。

 今回の一連の買い物の中で最も高価なものはモニタですが、次に高価なものが
PC切り替え器で、モニタの半額以上の値段でした。(~o~)

 机の上の作業スペースが広ければ、PC切り替え器を使わずに2台のモニタを使
う方が便利であり、費用もそれほど高くならないのですが、現在のところはモニ
タを2台置くだけのスペースがありません。

 次のシステム更新では、Winマシンのマザーボードを新しいものに替えると同
時に、机を大きいものに替えてモニタをもう1台置きたいなぁ……と思っていま
す。(^_-)

                            とものり

796. Linuxマシン用ビデオカード 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/16(水) 18:18:15
 793番の書き込みの続報です。(^o^)/

 インターネット等で色々と調べたところ、ある種のビデオカードはLinux用ド
ライバーが開発されていて、それを使えば解像度を1680×1050にできるらしいと
いうことがわかりました。

 そこで大須のアメ横に行き、一番旧式のビデオカードMSI NX8400GS-TD512EH
(GPU:nVIDIA GeForce 8400GS)を購入しました。このビデオカードはアナログ出
力とデジタル出力の両方をサポートしています。

 それをPCIExpressスロットに装着し、どうせやるならとDVI(デジタル出力)端
子にモニタを接続してLinuxを立ち上げたところ、X-windowが表示されずにコン
ソールモードになってしまいました。

 これは予想していたことなので、nVIDIAの日本語ウェブサイトから最新版の
Linux用ドライバーをダウンロードしてインストールしました。そして再起動す
ると、今度はX-windowが立ち上がりました。

 そこでX-windowの設定ファイルxorg.confを編集して、画面の解像度を1680×
1050(24ビット)にして再起動すると、見事にその解像度になりました。\(^o^)/

 これでLinuxマシンもWinマシンと同じ解像度になりましたが、Winマシンはア
ナログ接続なのにLinuxマシンはデジタル接続なので、PC切り替え器を使うこと
ができません。(~o~)

 そこでこの際だから、Winマシンにもデジタル出力をサポートしているビデオ
カードを装着し、PC切り替え器もデジタル用に替えることにしました。

                            とものり

795. Re[794]:山本五十六 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/15(火) 10:11:30
>山本直樹先生

>>昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

 生来の軍人嫌いのため(^^;)、山本五十六についてはほとんど知りませんが、彼は
アメリカに留学していたため欧米の軍事事情に詳しく、日独伊三国軍事同盟にも日米
開戦にも反対していたそうですね。

 彼は第2次世界大戦中に戦死したせいもあって、東条英機とは違って「ハト派的な
軍人」というイメージがありますね。

>>山本五十六は戊辰戦争の敗者の子孫なのですね。

 戊辰戦争で敗れた旧長岡藩の藩士・高野貞吉の子供で、旧長岡藩家老職を勤めた山
本家の養子になって山本姓を継いだそうですね。

 その山本家は元々は三河武士で、武田信玄の軍師・山本勘助もこの山本氏の出身だ
そうですよ。(^_-)

                          とものり

794. 山本五十六 投稿者:山本直樹 投稿日:2009/12/14(月) 17:48:58
昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでください。

山本五十六は戊辰戦争の敗者の子孫なのですね。

793. PCのモニタを変更 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/13(日) 13:33:57
 このところ液晶モニター(Logitec 19インチ 1280×1024 SXGA)の調子が悪くな
ってきました。

 モニタの電源を入れると、一瞬の間をおいて「ジャン!」といった感じの音が
して、しばらくの間は画面が点いたり消えたりし、モニタが暖まると普通に表示
するようになります。

 自営のデータ解析屋のため、モニタが使えないとオマンマの食い上げになって
しまいます。そこで、完全に故障する前に新しいモニタを購入することにしまし
た。

 久しぶりに大須のアメ横に行きモニタを物色したところ、今は横長のワイド型
ばかりで、以前のような19インチ型は全くありません。w('o')w

 僕はモニタをLinuxマシンとWinマシンで共有し、PC切り替え器で使い分けてい
るため、いつもLinuxマシンがサポートしている少し古い機種を購入するように
しています。

 しかし店員に尋ねても「Linuxのことはわからない」ということなので、仕方
なく、その店の商品の中で比較的古くて安定していそうな機種であるAcerの
P224W LCDモニタ(22インチワイド型 1680×1050 WSXGA+)を購入しました。

 早速、モニタを交換してLinuxとWinを立ち上げたところ、Winではすぐに自動
認識され、画面の解像度を24ビット1680×1050に変更することができました。

 ところがLinuxでは機種名とリフレッシュレート情報は自動的に取得されまし
たが、デバイスドライバーがないらしく、Xconfiguratorコマンドを使っても画
面の解像度を適切に変更することができません。

 そこで致し方なく、これまでと同じ1280×1024にしました。この解像度では文
字が横に引き伸ばされて、まるで倍角文字のような表示になりますが(^^;)、一
応ちらつきもなく安定して表示できます。

 これまでにも同じようなことを何度も経験してましたが、Linux用デバイスド
ライバーが開発されるまでは、この状態で我慢することになりそうです。(~o~)

                            とものり

792. 「ボルベール 帰郷」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/08(火) 00:07:45
・「ボルベール 帰郷(Volver)」ペドロ・アルモドバル監督、2006年、スペイン

 「オール・アバウト・マイ・マザー」、「トーク・トゥ・ハー」
(http://www.snap-tck.com/room01/c02/cinema/cinema04.html参照)を観て、す
っかりお気に入りになったアルモドバル監督の近作です。

 この作品も、少し異常な世界を題材にして、その中からいかに普遍的なものを
引き出すことができるかということに挑戦した、アルモドバル監督らしい作品で
す。

 しかし前述の2作と比べると異常さが少し足らず、あまり濃くない作品なので、
僕としては少々噛み応えがない感じです。(^^;) でもそれだけに、前出の2作よ
りも多くの人に受けるかもしれません。

 主演は「オール・アバウト・マイ・マザー」で注目され、今やスペインを代表
する女優になったペネロペ・クルスで、彼女はますます印象的になり、太陽のよ
うに真っ赤な輝きを放っています。

 本当に彼女には赤色が、それも鮮血のような真紅がやたらと似合います。そし
てこの作品はそのことを巧みに利用している……というよりも、そのことにイン
スパイアされて撮った作品というような気さえします。

                            とものり

791. 「海を飛ぶ夢」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/12/01(火) 14:24:50
・「海を飛ぶ夢(Mar adentro)」アレハンドロ・アメナーバル監督、2004年、ス
ペイン

 「オープン・ユア・アイズ」(http://www.snap-tck.com/room06/tck06023.html
の1108番書き込みで紹介)で注目されたアメナーバル監督の近作です。

 尊厳死をテーマにした作品で、実話を基にしているそうです。「オープン・ユ
ア・アイズ」と同様に、形而上学的な難しいテーマを、ファンタジックな映像と
メロドラマ的なストーリー展開によって、咀嚼しやすく表現しています。

 でもテーマがテーマだけに、「オープン・ユア・アイズ」よりも形而上的な雰
囲気が色濃く漂う、詩的で美しい物語になっています。

 作品の内容もさることながら、尊厳死というものに対する考え方や周囲の反応
にお国柄が出ているような気がしました。

 日本で同じようなテーマの作品を作ったらどのような作品になり、どのような
反応があるのか興味を惹かれるところです。

                            とものり

790. 「日本幽囚記」より−その3 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/26(木) 18:05:07
 「日本幽囚記」の印象に残ったところその3は、第三巻『日本国と日本人論』
の「第3章 国民性、教育と言語」から、日本の将来を予見したような部分を紹
介しましょう。

 ……人口が多く、聡明で感受性が強く、模倣が上手で忍耐強く勤勉な、この万
事に長けた国民が外国のものなら何でも模倣しようとし、我がピョートル大帝ほ
どの君主をいだけば、日本が持つ能力や資源と相まって、この国民は数年のうち
に東洋の王者となるであろう。

 そうなれば、遠く離れた国々の保護下にあるアジア東岸やアメリカ西岸の沿海
地方はどうなるのか。

 もし日本人がヨーロッパの知見を自国に導入しようとし、我が国の政策を範と
するようになれば、清国も同じ方針を取らざるを得なくなるだろう。そうなれば
この2つの強国は、すぐにでもヨーロッパ情勢を全く別の局面へと塗り変えてし
まうかもしれない。

 しかし海外のものならどんなものにも深い嫌悪の反応を示す日本や清国の政府
が、現在の方針を変えることは有り得ないことではない。両国が自ら望まなくて
も、必要に迫られてそのように仕向けられるようになるかもしれない。……中略
……

 こうした事態に至れば、ヨーロッパに倣って軍艦を製造し、それがやがては艦
隊となり、この方策が功を奏せば、同様に人類を絶滅に至らせるほど「開明化さ
れた」私達の他の手段をも採用するまでに至るであろう。

 このようにして、ピョートル大帝ほどの天才が介在しなくても、ただ状況の赴
くままにヨーロッパのあらゆる発明が徐々に日本に根付いていくであろう。単に
その気になりさえすれば、招待する教師に日本人は事欠かないであろう。

 それ故私は、この正義感が強く高潔な国民を怒らせるような真似は決してして
はならないと考える。

 しかし意に反して、もし何か切羽詰った事由によって違った行動を取る必要が
生じた時には、あらゆる手段と努力を行使して決然と行動せねばならない。

 私は日本人と清国人がヨーロッパ諸国のような方針を取り、すぐさま私達の脅
威になると述べているのではない。しかし、私達が子孫に恥じるような真似はし
ないように注意せねばならない。……


 ゴローニンが日本の松前藩に幽囚されたのが1811〜1813年の約2年半であり、
「日本幽囚記」が出版されたのが1816年です。

 上記のゴローニンの驚くべき予見は半世紀ほどして現実のものとなり、1904年
にはついに日露戦争という最悪の事態に至ります。

 当時のロシアをはじめとするヨーロッパ諸国と日本が、このゴローニンの警告
を真剣に受け止めていてくれたら、そのような最悪の事態には至らなかったので
はないか……と思わずにはいられません。(~.~)

                            とものり

789. 「日本幽囚記」より−その2 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/20(金) 11:06:09
 「日本幽囚記」の印象に残ったところその2は、その1と同じく第三巻『日本国
と日本人論』の「第6章 法と習慣」から、日本の鎖国政策に続いて日本とヨー
ロッパの比較をした部分を紹介しましょう。

 ……またある時には、私達はヨーロッパの優れた点として、日本では全く知
られていない多くの享楽があると述べた。日本人達はヨーロッパで数年間を過ご
してみたいものだと答え、再び自分達の母国についての話題に戻ると、このよう
に言った。

 ここに隣り合った2つの町がある。一つは大きな町で、他方は小さな町である。
大きな町の住人は金持ちで、必需品も贅沢品も潤沢にある。

 しかし争いが絶えず、人々は平安な生活を送ることができない。ならず者が町
に溢れ、追い剥ぎを恐れて夜歩きをしようとする者もいない。

 一方の小さな町で手に入るのは必需品だけだ。しかし住民同士仲睦まじく暮ら
し、争いが起きたためしがない。

 そして私達が大きな町より小さな町が良いと応えると、彼等はそれをヨーロッ
パと日本に喩えてみせた。これも、全く根拠のない意見ではないように思える。
……

 著者のゴローニンは高潔な人格者であり、当時のヨーロッパ人の中では珍しく
贅沢よりも清廉を好んだ性格でした。このため日本人達の主張に共感し、「全く
根拠のない意見ではない」と考えることができたのでしょう。

 この2つの町の比喩——2つの町は都会と田舎と言い換えることもできるでしょ
う——は、ヨーロッパと江戸時代の日本の比較だけでなく、明治以後の日本と江
戸時代の日本の比較、または高度成長期以後の日本とそれ以前の日本の比較にも
ある程度当てはまるような気がします。

                            とものり

788. 「日本幽囚記」より−その1の4 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/17(火) 18:22:00
 とかく、江戸時代における開国論者は革新的で進歩的な近代思想の持ち主であ
り、鎖国論者は保守的で頑迷な封建主義思想の持ち主である、という偏見がまか
り通っています。

 しかし実際には、そんな2元論で割り切れるような単純なものではなかったこ
とが、上記の文章から推測できると思います。

 ご存知のように、その後の日本は「ヨーロッパの列強とより関係を深めて、そ
の政治体制を真似」する道を選び、その結果「もっと頻繁に戦争が起こって、よ
り多くの血が流される結果」になってしまいます。

 当時の情勢としては致し方なかった道ではあるでしょうが、日本を開国しつつ、
ヨーロッパ列強とは別の政治体制と文化を築き、頻繁に戦争を起こさず、平和に
共存できるような第3の道が、ひょっとしたら存在したのではないか……と今更
ながらに残念な気がします。(~o~)

                その1終わりです    とものり

787. 「日本幽囚記」より−その1の3 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/17(火) 18:21:27
 この日本人達の反論に対して、ゴローニンは「日本語にもっと堪能であれば、
私達の主張が真実であることを証明するのですが」というのが精一杯であり、
「もし私が日本語を雄弁に話すことができたとしても、この主張に反駁するのは
容易ではなかっただろう」と正直に告白しています。

 もちろん、現代の我々ならば、この主張に反駁することができるでしょう。

 しかし当時はヨーロッパの列強が植民地政策を推し進めていて、建前上はアジ
ア諸国と通商を求めていながら、実際にはアジア諸国を植民地化しようと狙って
いることを、ゴローニンの相手をした日本人達はよく理解していました。

 そして彼等の主張の裏側にそういった思惑があったことを、『日本国と日本人
論』の他の部分から読み取ることができます。

 ここで注目すべきことは、ゴローニンの相手をした日本人達が、松前藩という
江戸から遠く離れた土地の一介の通訳や蘭学者達にすぎなかったにもかかわらず、
世界情勢に対するこれだけの知識と見識を備えていたという事実です。

                続きます        とものり

786. 「日本幽囚記」より−その1の2 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/17(火) 18:20:33
 しかし日本人たちは話題を徐々に戦争の方へ向けると、私達に尋ねた。

「ヨーロッパでは、戦争のない状態がどうして5年と続かないのですか? それ
に2国が争いを始めた時に、他国の多くがその紛争に参加して、ヨーロッパ中に
戦線を拡大してしまうのはどうしてですか?」

 私達はこのように答えた。隣国との不断の交流の中では、軋轢が生じることも
よくある。それが常に平和的に解決されるとは限らない。特にそうした紛擾が、
国益や威信にかかわる時はそうである。

 ある一国が他国に対してあまりに大きな勢力を持つと、周囲の国はその国が自
国にとっても脅威になるのを恐れて、弱い側に味方して強国に立ち向かおうとす
る。強国の側も同盟を求める。こうして、戦火が広がっていくのだ。……中略…


 彼等(日本人)はこう言った。「もし日本と清国がヨーロッパの列強とより関係
を深めて、その政治体制を真似れば、もっと頻繁に戦争が起こって、より多くの
血が流される結果にならないでしょうか?」

「それは大いにありえることです」と私達は答えた。

「もしそうであるなら」と日本人たちは言葉を継いだ。「人類の不幸を減らすた
めにも、日本が従来の行動原理を守って現状のままに留まり、ヨーロッパと交流
関係を持たないほうが望ましいのではないでしょうか?」……

                続きます        とものり

785. 「日本幽囚記」より−その1の1 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/17(火) 18:19:19
 781番の書き込みで紹介した「日本幽囚記」は、現在では非常に入手しにづら
いので、印象に残ったところをいくつか紹介しましょう。(^o^)/

 まず最初は第三巻『日本国と日本人論』の「第6章 法と習慣」から、日本の
鎖国政策について、日本人(主としてロシア語通訳と蘭学者達)と議論した部分を
紹介します。

 ……私達(ゴローニン達ロシア人)は他国とのあらゆる交流を禁じる日本の政策
を非難して、ヨーロッパの国々が互いの交流からどのような便宜を得ているかを
説明した。

 例えば他国の発明や発見を共有することで利益を得たり、生産物を互いに貿易
することで産業や諸活動を促進している。

 ヨーロッパの住民は、こうした交流を通して大いに満足し快適な生活を送って
いる。もしヨーロッパの君主達が、日本のように他国とのあらゆる交流を廃止し
てしまえばどうなることか。……中略……

 日本人は注意深く私達の話に耳を傾けると、ヨーロッパ諸国の賢明な行動を賞
賛し、私たちの論拠に信服し、その意見に全く同意したかのように見えた。

                続きます        とものり

784. 「キサラギ」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/13(金) 09:33:22
・「キサラギ」佐藤祐市監督、古沢良太原作・脚本、2007年、日本

 久しぶりに大いに楽しませてもらった日本の傑作コメディ映画です。(^o^)/

 「12人の怒れる男」を意識したと思われる、舞台劇のような完成度の高いミス
テリー調コメディ映画であると同時に、アイドルオタク映画としても出色のでき
です。

 とにかく脚本がよく練られていて、コメディのツボをしっかりと押さえつつ、
ミステリー風味を加え、最後にホロリとさせるところなど実に巧いものです。

 ただ、おそらくあまりに上手にまとめすぎることに脚本家自身が照れたのだと
思いますが、最後にハチャメチャを入れて照れをまぎらし、さらに余分な蛇足オ
チ(この手のコメディの定番オチではありますが)まで入れてしまったのは、少々
残念な気がします。

 また5人の登場人物を演じる俳優は、香川照之以外は正直言って少々演技力不
足ですが、それを脚本と演出の良さで何とか補っています。

 香川照之の役は、本来は竹中直人が適役でしょう。でも他の4人が少々弱いた
め、彼が演じると場をさらってしまうので、少しアクの弱い香川照之にしたので
はないかと思います。

 これだけよく練られた脚本ですから、舞台劇として、演技力のある俳優によっ
てきっちりと演じらるところを観てみたい気がします。

                            とものり

783. ようやく回復 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/11(水) 13:57:44
 先週から続いていた風邪の症状がようやくおさまり、今日(11日)からカミさん
は出社し、僕もとりあえず普通の状態に復帰しました。(^o^)/

 僕は症状が軽かったので、急を要する仕事だけやっていました。こういう時、
自宅で仕事をする自営業は便利というか、有給休暇がないから不便というか(^^;)、
とにかく無理をしないので身体は楽です。

 会社勤めの時は、身体の調子が多少悪くても、緊張感であまり気になりません
でした。でも自宅で気楽に自営業をしていると、気合が入っていないので、身体
の調子が少しでも悪いと仕事に気乗りがしなくなります。

 とゆーわけで、今日はややこしい数式やプログラムを見る気がしないので、こ
うしてつれづれなるままに書き込みをしています。(^^;)

                            とものり

782. 新型インフルエンザ? 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/07(土) 12:20:32
 3日(火)の夜、急に喉の奥(上気道)が痛くなり、咳と微熱が出ました。それか
ら今日(7日)までその症状が続いています。

 症状が軽いので単なる風邪だろうと思っていたら、5日の夜にカミさんも同じ
ような症状が出て、熱が38度も出てダウンしてしまいました。(~o~)

 カミさんの症状も重症というわけではないのですが、症状が急に出たことと、
潜伏期間が2、3日だったことから、ひょっとしたら新型インフルエンザの軽いや
つかも……と思って医者に行ったら、単なる風邪と診断されました。(^^;)

 もし新型インフルエンザだとしても、症状が軽くて単なる風邪と変わらないの
で、普通に療養していればいいのでしょう。

 今は新型インフルエンザ患者が珍しくなくなったので、新型インフルエンザに
かかっても大騒ぎされずにすみます。

 しかしこういったことはマスコミが大騒ぎしているうちは大したことはなく、
騒がなくなった時が本当は危ないので、大いに注意してくださいね。(^_-)

                            とものり

781. 「日本幽囚記」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/11/02(月) 18:34:54
・「日本幽囚記 上・中・下」ゴロヴニン著/井上満訳、岩波文庫、1943年5月
〜1946年6月発行

 有名なゴローニン事件に関する本人の手記です。1816年に出版されるやたちま
ち欧米でベストセラーになり、現在でも読み続けられています。

 日本では絶版になっているためなかなか読むことができませんでしたが、先日、
ようやく図書館で見つけました。(^o^)/

 本書は、ゴローニンが函館に幽閉されていた間に見聞したことを冷静かつ客観
的に記述したものであり、幽閉生活だけでなく、当時の日本の風俗習慣、国民性、
社会制度、国家体制などにも言及しています。

 手記の最後に日本の国家と日本人論が延べられていますが、その鋭い分析と深
い洞察には本当に驚かされます。

 特に日本の将来を予見した部分のうち、悪い方向に進んだ場合の予見は、明治
以後の日本の動向をものの見事に言い当てていて、驚くほかはありません。

 この本を読むと、江戸時代という時代がいかに平和で文化的であったか、この
時代の日本人がいかに高潔かつ聡明で人間愛に溢れていたかということがわかり、
明治政府が国民に信じ込ませようとした「封建的で野蛮な暗黒時代」という偏見
が、いかに欺瞞に満ちたものであるかがわかります。

 この日本語訳版には、ゴローニン事件のもう一人の当事者であるリコルドの手
記も収録されています。この手記はゴローニン事件に関する対日折衝記であり、
事件解決の立役者である髙田嘉兵衛の高潔な人間性と、巧みな外交手腕を浮き彫
りにしています。

 この手記は、ある意味で著者と髙田屋嘉兵衛の友情の記念碑のようなものであ
り、二人の間の国家も民族も超えた深い友情と強い絆に感動させられます。

 これらの手記を主要な元ネタにして、髙田屋嘉兵衛の生涯を描いた小説が司馬
遼太郎の「菜の花の沖」であり、テレビドラマ化もされています。

 個人的には、小説よりもテレビドラマよりもゴローニンとリコルドの手記の方
が断然面白く、かつ感動的でした。司馬遼太郎は、物語の構成とストーリーテリ
ングは巧いのですが、人間描写が少々浅いんですよね。(^^;)

 最後に、ゴローニン等の釈放に際して、松前奉行・服部貞勝がゴローニンに送
った祝辞の中の印象的な言葉を紹介しておきましょう。この言葉は、「日本幽囚
記」によって広くヨーロッパに紹介された有名な言葉です。

 「各国それぞれ相異なる習慣を有しているが、真に正しきことはいずれの国に
 おいても正しきものと認められる」

                            とものり

780. Re[779]:はじめまして 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/28(水) 11:16:31
>めさん

 頓陳館によーこそ!(^o^)/

>>統計学の「と」も数学の「す」もわからない全くの素人ですが、
>>「統計学っておもしろい!」と感じるくらいになりました。
>>はじめて読む統計学がこのサイトで本当によかったです。

 大変嬉しい感想をいただき、ありがとうございます。m(..)m

 数学的な厳密さよりも「わかりやすさ」に重点を置いて書きましたので、「統計学
っておもしろい!」という感想は何よりも嬉しいですよ。

 何か疑問点がありましたら、ご遠慮なくご質問ください。この会議室に書き込んで
いただいても、メールで質問していただいてもかまいませんよ。

 宣伝になってしまって恐縮ですが、当館の「統計学入門」を基にした統計学入門書
も出版されていますので、もし興味がありましたら読んでみてください。詳しい情報
は以下のページにあります。

  出版物のお知らせ…http://www.snap-tck.com/room05/room05.html

 とゆーことで、今後とも当館をよろしくお願いします。m(..)m

                          とものり

779. はじめまして 投稿者: 投稿日:2009/10/28(水) 10:47:56
看護師をしております。

このたび、看護研究のために統計学を学ぶためにこちらのサイトに辿り着きました。
(学生の頃習ったはずの統計学は脳みその片隅にも存在してませんでした)

統計学入門を拝読し、最近歳のせいか脳みそがふにゃふにゃになりつつなる私でも、思わずパソコン画面を食い入るように覗いてしまうほど、魅力的でした。

統計学の「と」も数学の「す」もわからない全くの素人ですが、
「統計学っておもしろい!」と感じるくらいになりました。

はじめて読む統計学がこのサイトで本当によかったです。

ありがとうございました。


778. 「この世界の片隅に」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/27(火) 16:41:31
・「この世界の片隅に 上・中・下」こうの史代著、双葉社、2008年2月〜2009
年4月発行

 お気に入りの女性漫画家・こうの史代氏の近作で、代表作「夕凪の街・桜の国」
に勝るとも劣らない意欲的かつ良心的な秀作です。

 「夕凪の街・桜の国」と同じように戦争と原爆をメインテーマにしていますが、
「夕凪の街・桜の国」が戦後の広島を主な舞台にしているのに対して、この作品
は近隣の軍港であった呉を主な舞台にし、第二次世界大戦前後の市井の人達の生
活を淡々と描いています。

 滝田ゆうを髣髴とさせる素朴な絵柄とほのぼのとしたユーモア、そして市井の
人達に対する優しい眼差しによって、暖かく淡々と描かれているからこそ、逆に
戦争と原爆の悲惨さが浮き彫りにされ、ほのぼのとした作風の裏に隠された作者
の慟哭が胸に迫ります。

 これほどの悲劇を描きながら、それでもなお読後感として暖かい希望を感じさ
るのはこの作者ならではのものであり、戦争物・原爆物として稀有な作品といえ
るでしょう。

 最近読んだマンガの中で最高の感動作であり、「夕凪の街・桜の国」と並んで
こうの史代氏の代表作と言って良いと思います。

 ちなみに、こうの史代氏は理学部出身であり、この作品の主な登場人物の名前
は元素名にちなんで付けられています。同じ理学部出身の僕としては、こういっ
た遊び心は嬉しい限りです。v(^_-)

                            とものり

777. 高牟神社の例祭 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/23(金) 23:50:19
 先日、近所の高牟神社の例祭に行ってきました。(^o^)/

 この例祭はまるで寅さん映画の世界そのままの、無形文化財的・時代錯誤的な
お祭りで、毎年、楽しみにしているものです。

 今年もまた、年季の入ったテキヤさんがやっている串かつ、どて煮、たこ焼き、
フランクフルト、サメ釣り、輪投げなどの屋台と、恒例の町内のおじさんとおば
さん達による日本舞踊、バレエ教室に通っている子供達によるバレエ、絵に描い
たようなドサ回り歌手の歌謡ショウ等々があり、とても名古屋のど真ん中とは思
えないような寅さん的世界を堪能しました。

 この例祭に参加すると昭和初期にタイムスリップしたような気になり、しばし
の間、現実離れした浮遊感を味わうことができます。(^o^)v

                            とものり

776. 日本薬剤師会学術大会と比叡山延暦寺 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/20(火) 11:12:21
 先日、滋賀県大津市で開催された日本薬剤師会学術大会に参加し、ついでに比
叡山延暦寺を拝観してきました。(^o^)/

 今年の春まで愛知県薬剤師会のデータ解析を手伝っていて、その結果を愛知県
薬剤師会の代表者が発表するというので、僕にもお誘いがあったのです。

 大会終了後、愛知県薬剤師会の人達と一緒に比叡山延暦寺の拝観に行きました。

 贅沢にも、愛知県薬剤師会の人が知っている京都のタクシーで行ったのですが、
その運転手さんが非常にサービス精神旺盛な人で、興味深い話を色々としてくれ
たので、通り一遍の観光とは一味も二味も違う観光を楽しむことができました。

 比叡山といえば、高校の頃、受験勉強で最澄−比叡山−天台宗と空海−高野山
−真言宗の組み合わせを丸暗記しようとして、これらの名前を念仏のように唱え
た挙句、結局のところ何が何だかわからなくなってしまい、理屈抜きの丸暗記は
自分にはできないという悟りを開いたほろ苦い思い出(^^;)があります。

 そのせいか、自分が比叡山にいるというのはけっこう感慨深いものがありまし
た。

 印象的だったのは、大講堂に各宗派の開祖や聖徳太子など仏教に関係が深い人
物の肖像画が飾ってあるのですが、「何故か」というべきか「やはり」というべ
きか、空海の肖像画がないことでした。(^^;)

 仏教やキリスト教における宗派間の争いは、僕のような門外漢には少々理解で
きないところがあります。骨肉の争いのようなもので、同じ血を分けた者同士は
感情の起伏が他人よりも激しいのかもしれません。(~.~)

                            とものり

775. ほほえみウォーク88 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/17(土) 20:30:13
 先日、名古屋の久屋大通公園で開催された「ほほえみウォーク88」に参加して
きました。(^o^)/

 これは名古屋スポーツフェスティバルランド2009のイベントのひとつとして行
われたもので、乳癌健診を推進するピンクリボンキャンペーンの一環です。

 名前からわかるように、内容は久屋大通公園を中心とした10キロコースと5キ
ロコースのウォーキングであり、僕とカミさんは5キロコースに参加しました。

 しかしピンクリボンキャンペーンの一環ですから、久屋大通公園付近の繁華街
を歩く時はチンドン屋さん達が先導するデモ行進になっていて、チンドン屋さん
達が乳癌健診推進のためのビラを配りながら歩きました。(^^;)

 乳癌は早期発見がしやすく、予後が比較的良い癌です。しかし女性が定期健康
診断を受診する率は男性に比べて低いため、乳癌による死亡者は増加し続けてい
るそうです。

 そこで乳癌健診を推進しようと、2000年代になってから、世界規模で行われて
いるピンクリボンキャンペーンが日本でも盛んに行われるようになりました。

 リボンをシンボルマークにした運動は、ピンクリボン以外にも、エイズのレッ
ドリボン運動、移植医療のグリーンリボン運動、性同一性障害のためのそら色リ
ボン運動、そして前立腺癌のブルークローバー運動(本来はブルーリボン運動だ
が、日本ではブルーリボンは他の運動で使用されていたためクローバーを用いた)
等々、非常に沢山あります。

 そういった中では、乳癌のピンクリボンはマスコミに取り上げられる頻度が多
く、比較的広く知られているものでしょう。

 一応、男性の僕としては、前立腺癌のブルークローバーがもっと知られて欲し
い気がしますが、男性特有の前立腺癌よりも女性特有の乳癌の方がマスコミ受け
しやすいので、致し方ないところでしょう。(^^;)

                            とものり

774. Re[773]:スペシャルオリンピックス 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/14(水) 10:07:46
>山本直樹先生

>>これも先日のNHKのラジオ番組で以前首相だった細川氏の夫人が出演して知った事です。
>>知的障害者のためのスペシャルオリンピックスという競技会の事です。

 僕はオリンピックを見限って、今はパラリンピックとデフリンピックとスペシャル
オリンピックスのファンですよ。(^o^)/

 634番の書き込み(http://www.snap-tck.com/room06/tckmeet013.html)に書きました
が、以前、海部郡で区長をやっていた時に、たまたまデフリンピック選手の壮行会に
出席しました。

 そこでデフリンピックとスペシャルオリンピックスについて詳しいことを知り、大
いに感激して、勝手にデフリンピックとスペシャルオリンピックスの個人的宣伝係を
やってます。(^^;)

 どちらの大会も以前は別の名前の世界大会でしたが、知名度を上げるために、オリ
ンピックを連想させる名前に改名しました。

 僕のようなオリンピック嫌いにとっては痛し痒しといったところですが、大会の知
名度を上げるためには致し方ないでしょうね。(~.~)

                          とものり

773. 山本直樹 投稿者:スペシャルオリンピックス 投稿日:2009/10/13(火) 18:54:18
杉本先生
私も国威発揚のオリンピックはあまり好きではありません。傲慢そうな石原都知事が見えるだけでげんなりしてしまうのです。
これも先日のNHKのラジオ番組で以前首相だった細川氏の夫人が出演して知った事です。
知的障害者のためのスペシャルオリンピックスという競技会の事です。
WIKIPEDIAから引用します。
各ディビジョン毎に1位〜8位があり、全員が表彰台に上がって1位〜3位には金銀銅メダル、4位以下にはリボンが贈られる。また、失格となった競技者も参加賞のリボンが贈られる。これは、競技会は日常のスポーツトレーニングプログラムの成果の発表の場であり、「参加することに意義がある」というオリンピック精神に基づき、成績の如何に関わらず、すべての競技者が賞賛され、表彰されるという特徴がある。また、スペシャルオリンピックスの表彰式は、最下位の順位から表彰され、最後まで拍手がなりやまないように工夫されているのも特徴である。


771. Re[770]:ベラ・チャスラフスカ 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/13(火) 10:43:25
>山本直樹先生

>>先日ラジオでベラ・チャスラフスカ選手のことが放送されていました。

 東京オリンピックのベラ・チャスラフスカ選手と、札幌オリンピックのジャネット
・リン選手は、僕のような東京オリンピック世代にとって憧れのアイドルでしたよ。

 でもリン選手が比較的恵まれた人生を歩んだのに対して、チャスラフスカ選手は公
私共にかなり厳しい人生を歩んだようですね。

 東京オリンピックでのチャスラフスカ選手は、非常に透明感のある清楚な感じの選
手でしたが、メキシコオリンピックでは「美しき自由の闘士」という感じで、悲壮感
を漂わせた闘志溢れる姿が印象に残っています。

 スポーツと政治は無関係でありたいと願いながら、国威発揚の場であるオリンピッ
クは昔から政治に翻弄され続けています。

 だから、僕はオリンピック嫌いになったんですよね。(^^;)

                          とものり

770. ベラ・チャスラフスカ 投稿者:山本直樹 投稿日:2009/10/12(月) 15:25:33
先日ラジオでベラ・チャスラフスカ選手のことが放送されていました。
東京オリンピックで金メダルを取った時そっと金メダルに触れていたことが
国語の教科書に載っていたことを思い出しました。メキシコオリンピックでの表彰台での
うつむいてソ連に抗議する姿は彼女が美人なだけに鬼気迫るものがあります。
大国の政治に翻弄されて彼女の人生の後半は大変厳しいものがあったことを初めて知りました。

769. 公開シンポジウム「母子健康手帳を皆で考えよう!!」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/10/05(月) 15:43:10
 10月3日(土)に東京で開催された、公開シンポジウム「母子健康手帳を皆で考
えよう!! —今、妊婦健診に必要な情報は?—」に参加して来ました。(^o^)/

 この公開シンポジウムは、厚生労働省が行っている「子ども家庭総合研究事業」
の一環である「わが国における新しい妊婦健診体制構築のための研究」の研究班
と、日本産婦人科学会周産期委員会が主催したものです。

 僕がこの公開シンポジウムに参加することになったのは、現在、その研究班の
データ解析のお手伝いをしているからです。

 役人嫌い、官僚嫌いの上、厚労省アレルギー(^^;)の僕は、普通はこうった厚
労省がらみの仕事の依頼は積極的には引き受けません。

 でもその研究班の責任者の先生が、昔からお付き合いさせていただいている得
意客であることと、依頼があった時、たまたま娘が子供を産む時期だったため、
何か運命的なものを感じて引き受けることにしました。

 シンポジウムでは、まず医師を代表して東京女子医科大学産婦人科教授であり、
研究班の責任者でもある松田義雄先生、助産師を代表して東邦大学医学部看護学
科教授の齋藤益子先生、ジャーナリストを代表して出産ジャーナリストの河合蘭
氏、出産経験者を代表してNHKアナウンサーの伊東敏恵氏の4名のシンポジストが
講演を行い、その後でシンポジストと会場の人達が質疑応答をしながら、母子健
康手帳のあるべき姿を討論しました。

 厚労省の予算の関係か(^^;)、事前の宣伝をあまり行わず、参加者が80名程度
のこじんまりとしたシンポジウムでしたが、講演内容が多面的かつ豊富で、会場
からの質疑応答も多く、非常に有意義なものでした。

 このシンポジウムの様子をビデオ化し、テレビ等で放映すれば、かなりの反響
を呼ぶと思います。

 こういった有意義なシンポジウムは、大々的に前宣伝をして多くの参加者を募
り、テレビなどのメディアを通してもっと広く公開して欲しいと思います。

                            とものり

768. 「ブルグ劇場」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/09/28(月) 20:13:24
・「ブルグ劇場(Burgtheater)」ヴィリー・フォルスト監督、1936年、オースト
リア

 社交界嫌いで有名な実在の名優をモデルにした、ラブロマンスの秀作です。

 緻密なストーリー展開、さりげない伏線の張り方、効果的な演出、個性豊かな
登場人物達、格調高い台詞、そして俳優の名演技等々、まるで映画の教科書のよ
うな作品です。

 特に、「まとめのフォルスト」と称されるように、ラストのまとめ方は見事で
す。

 この作品のテーマはラブロマンス物としては普遍的であり、この作品以後も同
じようなテーマの作品が沢山作られています。そしてそれらの作品は多かれ少な
かれ、直接的または間接的にこの作品の影響を受けていると思います。

 オーストリアに限らず、世界的な「映画の古典」のひとつと言って良いでしょ
う。

                            とものり

767. 道南旅行 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/09/23(水) 17:41:48
 この連休を利用して北海道に行ってきました。(^o^)/

 下の娘が学生時代に網走に下宿していた時に道央と道東を旅行したので、今回
は道南に行ってきました。今回の旅行では、かねてから行きたいと思っていた髙
田屋嘉兵衛記念館と、三松正夫記念館に行きました。

 連休のせいか、どこの観光地も観光客でいっぱいでした。しかしこれら2つの
記念館は知る人ぞ知るという場所なので、僕とカミさんが訪れた時はどちらの記
念館にも客がおらず、貸切状態でゆっくり観ることができました。

 特に三松正夫記念館では、館長であり、三松正夫氏の義理の孫でもある三松三
郎氏と一緒に、記念写真を撮らせていただくことができました。(^o^)v

 髙田屋嘉兵衛は江戸時代で僕が最も尊敬する人物であり、もしタイムマシンで
江戸時代に行くことができたとしたら、是非とも会ってみたい人物の一人です。
(ちなみに他に会ってみたい人物は、宝暦治水の平田靱負、元禄赤穂事件の大石
内蔵助良雄、エレキテルの平賀源内、シーボルトの娘で日本初の女医である楠本
イネ、おろしや国酔夢譚の大黒屋光太夫等々です)

 彼は北方開発の先駆者であり、「函館発展の恩人」と言われていると同時に、
有名な「ゴローニン事件」を解決に導き、日本とロシアの民間外交の基礎を築い
た人です。

 三松正夫はやはり僕が尊敬する人物であり、残念ながら本人に会ったことはあ
りませんが、本人の映像は観たことがあり、映画やドラマで何度も観たことがあ
ります。

 彼は「昭和新山の父」と言われる人物であり、第二次世界大戦中に昭和新山が
できた時、地元の郵便局長ながら詳しい記録を残し、全財産を投げ出して昭和新
山を買い取り、生涯をかけて昭和新山の保全に努めた人です。

 この2人に共通することは、どちらも民間人でありながら、本来は幕府または
政府が行うべき事を、世のため人のために命懸けで行った点でしょう。

 そしてそのような立派な事を成し遂げたにもかかわらず、幕府の役人や政府の
役人からは冷たい仕打ちをされたという点でも共通しています。

 役人嫌い官僚嫌いマスコミ嫌い政治家嫌い権力者嫌いの僕としては、このよう
な人物にシンパシイを感じ、尊敬の念を抱いてしまいます。(^o^)v

                            とものり

766. Re[765]:インパール作戦 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/09/14(月) 12:21:02
>山本直樹先生

>>当院にインパール作戦に従軍した軍医がおられます。
>>田村久弥先生は軍医としてビルマ・インパール作戦に従軍し、九死に一生を得て帰国し
>>た後、戦友の霊を弔うと共に戦禍に巻き込まれたビルマ国民に謝罪したくボランティアと
>>してビルマ渡航を希望したが果たせず、インドネシアで医療奉仕を長年された方です。

 そうなんですか、それは立派な先生ですね。

 759番の書き込みで紹介した「花と兵隊」にも、インパール作戦で生き残り、日本
に帰らずにビルマで遺骨を収集して塚を立てた人や、現地の人のために医療に従事し
たり、技術を役立てている人が出てきますよ。

>>戦争は悲惨なものです。現場を知らない勇ましいことだけを言う政治家にだまされては
>>いけません。

 子供の頃から軍国教育を受けた人は、政府の言うことを素直に信じ込んでしまうの
で洗脳とは本当に怖いですね。

 「花と兵隊」に登場する人も、戦争に負けるまでは政府の言うことを素直に信じ込
み、中国で女子供を虐殺し、それを悪いこととは全く思わなかったと告白しています。

 また「嗚呼 満蒙開拓団」の羽田監督もかつては皇国少女であり、戦争中は「戦争
に負ける」とか「戦争をやめる」などということは、全く考えたことがなかったそう
です。

 それが戦争に負けて、初めて目隠しをはずされたような気持ちになり、贖罪の意識
を強く持ったそうです。

 戦争に負けなければ洗脳状態から抜け出せないというのは、何ともやりきれない思
いがしますが、それが人間の常であり、マインドコントロールの怖さなのでしょう。

 その意味で、例えばアメリカのように戦争に勝った国の国民は、いまだにマインド
コントロールから抜け出せていないということになります。

 湾岸戦争や中東紛争などを見ていると、確かにそのとおりだと思いますよね。

                          とものり

765. インパール作戦 投稿者:山本直樹 投稿日:2009/09/12(土) 19:17:54
1941年の戦争開始と同時に日本軍は怒涛の勢いでビルマ領内深く侵攻し、
瞬く間に全土を占領しました。
しかし、その後連合軍の反抗に晒され、さらには、補給を全く考慮しない杜撰な
インパール作戦等の失敗により、ビルマ国内に屍の山を築いていったのです。
ビルマ方面の参加兵力30万人のうち実に18万人が戦死し、日本軍が撤退したルート
沿いに数多くの戦死者が遺棄されたことから「白骨街道」とも呼ばれました。
当院にインパール作戦に従軍した軍医がおられます。
田村久弥先生は軍医としてビルマ・インパール作戦に従軍し、九死に一生を得て帰国し
た後、戦友の霊を弔うと共に戦禍に巻き込まれたビルマ国民に謝罪したくボランティアと
してビルマ渡航を希望したが果たせず、インドネシアで医療奉仕を長年された方です。
現在は憲法9条を守り、子孫に戦争の悲惨さを伝えることを天職とされています。
先生は一度も靖国神社に行ったことはないそうです。
先生の病院の朝礼でのお話です。
多くの兵隊がアメーバ赤痢になって死んでいったのです。戦死した人と同じくらい
餓死したり、病死したのです。軍隊は、弱った兵隊を、置いて行ってしまうのです。
アメーバ赤痢になると、下痢になって、身体に力が入らなくなり、トラックの荷台に乗せられて、病院という名の木の下に運ばれて行くのですが、みんな、垂れ流していました。
便意を催して〔衛生兵殿!衛生兵殿!〕と呼んでも衛生兵は足りないので
来れないのです。声が小さくなると
そのうち、兵隊が動かなくなるんです。声をかけても、返事がなくなります。
私には今でも兵隊の〔衛生兵殿!衛生兵殿!〕という声が頭から離れません。
戦争は悲惨なものです。現場を知らない勇ましいことだけを言う政治家にだまされては
いけません。

764. 公企業の民営化に関する論文について 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/09/05(土) 11:06:22
>山本先生

 現在、736番の書き込みで紹介していただいた、公企業の民営化に関する論文
の内容を解読しようと奮闘努力しています。

 この論文は、金融工学の理論よりもゲーム理論を中心にして展開しているよう
です。そしてゲーム理論を公企業の民営化に応用し、公企業の民営化の影響を分
析しています。

 まだ内容を解読している途中ですが、どうやら次のような結論を導き出そうと
しているようです。

○私企業が参入規制を受けている混合寡占市場では、公企業を民営化すると生産
性が上がり、社会厚生が改善される可能性がある。

 「私企業が参入規制を受けている混合寡占市場」とは、以前のタバコの専売公
社のように、公企業以外の企業の参入が制限されている市場のこと。

○一方、私企業の参入規制のない混合寡占市場では、公企業を民営化すると社会
厚生が悪化する可能性がある。

 「私企業の参入規制のない混合寡占市場」とは、郵便局による預貯金と私立銀
行の預貯金が自由な競合関係にある金融市場や、郵便小包と私企業による宅配便
が自由な競合関係にある小荷物運搬市場のような市場のこと。


 この結論を導くキーポイントは、民営化によって公企業の目的関数が社会厚生
から利潤追求に変わることによって、企業の作業効率が上がり、生産性が改善す
る点にあるようです。

 要するに「儲けるために社員が必死になって働く」つまり「目の前にニンジン
をぶら下げれば、競走馬は必死に走る」ということです。(^^;)

 ここで気になったことは、この論文では「もし公企業が私企業と同じくらい効
率的であれば、(社会厚生という点で)明らかに公企業の独占が望ましいことにな
るので、このような自明なケースは検討対象から除外する」としている点です。

 つまり「公務員が民間企業の社員と同じくらい必死に働くのなら、参入規制が
あってもなくても公企業の独占が望ましいから、民営化は必要ない」ということ
であり、これは自明だというのです。

 公務員が民会企業の社員よりも必死に働かないのは当然だから、公務員のやる
気を起こさせるために民営化するというのは、本末転倒のような気がします。

 公務員でも民間企業の社員と同じように必死に働くのが本来であり、民営化に
よる利潤追求というニンジンをぶら下げなくても、公務員が必死に働くような役
所社会のモラルを構築する方法を研究するのが、社会学研究者の役目ではないか
と思います。

 まだ論文を解読している途中ですから、誤解があるかもしれませんが、論文の
根本的な点について以上のような疑問を持ちました。

                            とものり

763. エゴイズムの話 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/09/04(金) 18:48:59
>山本先生

 エゴイズムの話題に関連して、ある仏教説話を思い出しました。仏教説話は我
田引水的なところと、お説教臭いところが多々あり(お説教そのものですから、
当然ですが(^^;))、あまり好きではありませんが、この仏教説話だけは妙に覚え
ていました。

 それは、三途の川の渡し舟を待つ待合室の話です。その待合室では、渡し舟を
待つ死者のために饅頭と箸が置いてあるのだそうです。

 ところがその箸はやたらと長いため、自分の前に置いてある饅頭をつまんで食
べようとしても自分の口まで届かず、どうしても饅頭を食べることができません。

 それで地獄行きの死者の団体が待合室に来ると、各自が我先に自分の饅頭を食
べようとし、結局、全員が饅頭を食べられずに渡し舟に乗ることになります。

 ところが天国行きの死者の団体が来ると、自分のことはさておき、箸で饅頭を
挟むと、向かい側にいる人に饅頭を食べさせてあげるので、めでたく全員が饅頭
を食べてから渡し舟に乗ることになる、というのです。

 この仏教説話は、エゴイズムに走る人は結局のところは損をし、人のために尽
くす人は結局のところは得をするという、実にわかりやすい話です。

 数学理論で構築された安全なはずの金融工学が、逆に金融危機を招いてしまっ
た原因は、金融工学は長い箸をうまく使って自分の饅頭を食べる方法を考え出そ
うとする学問であり、向かい側にいる人に饅頭を食べさせてあげる方法を考え出
す学問ではなかったところにあるような気がします。

 736番の書き込みで紹介していただいた、公企業の民営化に関する論文に関連
して金融工学のことをかじっていて、何となくこんなことを考えました。(^_-)

                            とものり

762. Re[761]:マタイ受難曲 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/09/04(金) 18:13:27
>山本先生

>>私が「マタイ受難曲」に傾倒するのは
>>自分自身のバック・グラウンドがプロテスタント派のクリスチャン。
>>この作品で聖句の一つ一つに対してバッハが駆使した、隙のない緻密な作曲技法
>>(転回形和音、サタンの減5・増4音程、音階進行、フーガ・・・)に感嘆した。

 昨年、山本先生の合唱団が演奏されたマタイ受難曲には、本当に圧倒されました。

 僕は演奏するのも聞くのも器楽が中心でしたから、恥ずかしながらマタイ受難曲を
全曲、しかも生演奏で聴くのは初めてでした。

 あの演奏を聴いて、やはり音楽は作曲者が意図したように、全曲を生演奏で聴かな
いと本当の価値はわからない、ということをつくづく痛感しましたよ。楽曲の一部を
CDで聞いてわかったような気になっていたのは、実におこがましい限りでした。

>>人間の生々しいエゴイズムは、何時の世も変らないのでしょうね。

 残念ながら、エゴイズムを始めとする煩悩は人間の本性かもしれませんね。煩悩か
らの解脱とは、ある意味でやせ我慢のようなところがあるような気さえします。

 でも、そのやせ我慢をするという性質も人間には確かにあるようですから、人間と
は本当に矛盾した生き物です。(^^;)

 人間社会の様々な矛盾はこの人間そのものの矛盾を反映したものであり、このため
人間の社会は理に落ち切ることは無く、いつまでたっても理屈で割り切れることはな
いのでしょう。

 数学理論ではうまくいくはずのゲーム理論や金融工学が、実際の人間社会では理屈
どおりいかず、経済政策が失敗したり金融危機を招いたりしているのは、そのせいで
はないかと思います。

                          とものり

761. マタイ受難曲 投稿者:山本 投稿日:2009/09/04(金) 07:29:45
私が「マタイ受難曲」に傾倒するのは
自分自身のバック・グラウンドがプロテスタント派のクリスチャン。
この作品で聖句の一つ一つに対してバッハが駆使した、隙のない緻密な作曲技法
(転回形和音、サタンの減5・増4音程、音階進行、フーガ・・・)に感嘆した。
誰もが口ずさめるような、親しみやすく美しいメロディ−の合唱曲が大好き。
一人一人は素朴で純粋・善良。善悪の判断が出来るはずの民衆が、イエスを陥れることに
躍起の超エリート集団、ユダヤ教指導者達の扇動にいとも簡単に乗せられ、また、周囲と
異なる意見を述べたら我が身に危険が迫る恐怖からか、ローマ総督ピラトに「バラバに
恩赦を!!」と迫る様は、現代にも別の形で起こりうる・・・。
現代民主主義政治は衆愚政治へと堕落し、あの時バラバを選んだように、誤った選択・
結論に至る狂気・恐怖をはらむ。
イエスを売り渡さぬよう考え直す事も出来たのに、誤った選択をしたイスカリオテ・
ユダ。 「他の者が躓いても、私は決して躓きません!!」と断言したのに、我が身可愛さ
に、3度も「そんな人は知らない!!」と言ってしまい、慟哭の涙を流したペテロ。
誤った審判の責任を、民衆に押しつけ逃げた、エリート官僚・ローマ総督、ポンテオ・
ピラト。
人間の生々しいエゴイズムは、何時の世も変らないのでしょうね。
♪コラール・ファンタジー「人よ、汝の大いなる罪を嘆くが良い。」
http://www.youtube.com/watch?v=PXIukWpjsbU
人よ、汝の大いなる罪を嘆くが良い
それ故キリストは、父の御元を離れ地上へ下った
時が来て、彼は私達の罪のために生け贄となり、十字架に付けられた

760. 最後の尾張藩主・徳川慶勝 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/26(水) 17:04:44
 先日、NHKハイビジョンTVで「幕末 知られざる決断 尾張藩主・徳川慶勝」
というドキュメンタリー番組を放映していました。

 徳川慶勝(とくがわよしかつ)と言えば、当館の常連であるNEGIさんが神官を務
める、我等が尾陽神社(http://www.biyoujinja.com/biyou/)の祭神のひとりなの
で、観ることにしました。

 徳川慶勝については、尾陽神社を通してある程度のことは知っていたので、内
容的にはほとんど知っていることばかりでした。

 でも思いがけず尾陽神社と、顔馴染みの宮司さんが出てきたので、嬉しくなっ
てしまいました。(^o^)v

 ところが尾陽神社と徳川慶勝の関係や、尾陽神社に関する説明が全く無く、尾
陽神社のパンフレット作りのお手伝いをした僕としては、大いに不満が残りまし
た。凸(-"-メ)

 それ以外にも内容的に少々脚色が目立ちますが、もし地上波で放映することが
あったら観てやってください。(^_-)

                            とものり

759. 「花と兵隊」 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/24(月) 11:39:26
・「花と兵隊」松林要樹監督、2009年、日本

 第2次大戦末期、約19万人の日本兵が犠牲になり、地獄の戦場と言われたビル
マ戦線。その凄惨を極めた戦地で日本の敗戦を向かえた後、自らの意思で日本に
帰らなかった未帰還兵がいます。

 この作品は、その未帰還兵をテーマにした松林要樹監督のドキュメンタリー映
画の力作です。

 「未帰還兵」とは、1970年代初頭のTVドキュメンタリーシリーズ「未帰還兵」
を撮った今村昌平監督が作った言葉で、より一般的には「残留日本兵」または
「残留日本人」と呼ばれます。

 ただ、「残留日本兵」が「日本に帰りたかったのに、色々な事情で帰ることが
できなかった」という意味合いが強いのに対して、「未帰還兵」には「自らの意
思で日本に帰らなかった」という意味が込められています。

 松林要樹監督は今村昌平監督の孫弟子に相当し、「未帰還兵」シリーズを観て
衝撃を受け、この作品を作ったそうです。

 未帰還兵をテーマにした作品としては、「未帰還兵」シリーズの他には、市川
崑監督の名作「ビルの竪琴」が有名です。

 これらのどちらの作品も、未帰還兵がなぜ日本に帰らなかったのかということ
に焦点を当てているのに対して、この作品は、敗戦から現在に至るまでの彼等の
生活と、現地の人達−−特に彼等の奥さん−−とのかかわりにも焦点を当ててい
ます。

 753番の書き込みで紹介した「嗚呼 満蒙開拓団」では、聞き手である羽田澄
子監督自身が満州からの引揚者であり、インタービューされる人と同じような経
験をしているために、家族にもほとんど話さなかった、苦渋に満ちた本音を引き
出すことに成功しています。

 それに対してこの作品は、聞き手である松林要樹監督が、戦争のことをほとん
ど知らない当時まだ20代の若者だったからこそ、逆に素直な本音を引き出すこと
に成功しているような気がします。

 実は、僕の両親が満州からの引揚者であるのに対して、僕のカミさんの父親は
ビルマ戦線からの帰還兵です。

 これらの2作品を観ると、生と死の差、そして日本への帰還と現地での残留の
差は本当に紙一重であり、ほんのちょっとした運命のいたずらで、インタビュー
されている人達と僕等の親の立場が入れ替わっていたのではないか、もしかした
ら僕等の生活は今とは全く違ったものになっていたのではないか、と痛感させら
れます。

 この2作品は、僕とカミさんにとって特別な思い入れのある作品になりました。

                            とものり

758. 方正地区日本人公墓−5 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/19(水) 13:57:33
 昨年、NHKテレビが「葫盧島(ころとう)〜旧満州からの引き揚げ」というドキ
ュメンタリー番組を放映していました。

 この番組が調査対象にした満州開拓団は、「嗚呼 満蒙開拓団」が調査対象に
した開拓団と同じであり、同じようなエピソードと場所を取り上げていました。

 その中に方正地区日本人公墓も登場しましたが、何故かこの墓の由来は全く説
明されませんでした。

 そのため「嗚呼 満蒙開拓団」を観るまでは、その墓を立てたのは日本人だと
ばかり思っていました。僕だけでなく、その番組を見た多くの人は、おそらくそ
のように思ってしまったでしょう。

 それが意図的なのかどうかはわかりませんが、この方正地区日本人公墓の存在
は、もっと多くの人に知られてしかるべきだと思います。

 方正地区日本人公墓について、日本政府は今日に至るまで無視しており、中国
政府に対する感謝の言葉も謝罪の言葉もありません。

 靖国神社に参拝した政府要人は沢山いても、方正地区日本人公墓に参拝した政
府要人は一人もいないのです。

 靖国神社に関する不毛な議論をするよりも、方正地区日本人公墓の存在をもっ
と広く知らしめて欲しいものです。

                    終わりです   とものり

757. 方正地区日本人公墓−4 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/19(水) 13:56:54
 こういった岸首相の態度と周恩来首相の態度を比べると、中国人の大人(たい
じん)ぶりをつくづく思い知らされます。

 「日本人民も日本軍国主義の犠牲者」であり「権力者と民衆は区別して考える
必要がある」という国際主義的な精神は、確かに忘れてはならない大切なものだ
と思います。

 しかし権力者だけでは戦争はできず、国民の多くが反対すれば戦争は起きませ
んし、権力者が権力を握っていられるのは、国民の多くが権力者を支持している
からです。

 第2次世界大戦では国民の多くが間違った指導者を選び、間違った方向に日本
を動かしました。そしてそのツケを支払わされるハメになったのが、満州開拓団
を始めとする多くの庶民です。

 いつでもどこでも、戦争の犠牲になるのは社会的弱者の庶民であり、女性と子
供なのです。

 国民が間違った選択をしたツケは、必ず国民に帰ってきます。しかしツケを支
払わされる国民は国家という組織の下層部にいる庶民であり、上層部にいる人達
ではありません。

 上層部の人達は戦争で悲惨な目にあっておらず、むしろ戦争を利用して権力や
富を手にすることが多いため、機会があれば性懲りも無く戦争を仕掛けようとし
ます。

 我々庶民が戦うべき相手は、権力者が非難する仮想敵国ではなく、自分自身の
心の中にある偏見や利己心であり、高揚させるべき精神は、マスコミが煽り立て
るナショナリズムではなく、噂やデマに付和雷同しない沈着冷静さであり、権力
におもねることのない勇気なのです。

                    続きます    とものり

756. 方正地区日本人公墓−3 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/19(水) 13:55:46
 このように、侵略された国が、侵略した人達の墓を建立して墓守を置き、ナシ
ョナリズムの激流に押し流れることなく、長年の間維持管理してくれているとい
う事実には本当に驚かされ、中国人の懐の深さにあらためて感動させられます。

 戦争によって多くの日本人が犠牲になった場所は、中国だけでなく、朝鮮半島、
シベリア、東南アジア等々、沢山あります。しかし、侵略者である日本人のため
に墓を建立してくれた国は、唯一、中国だけです。

 日本の政府は、侵略戦争を仕掛けた政府の要人や軍人に補償金や恩給を出し、
墓を建立したり神社に祀ったりはしますが、戦争の犠牲になった庶民には冷淡で
あり、海外で犠牲になった人達の墓を現地に建立することはしません。

 ましてや敵国の犠牲者のために自国に墓を建立し、それを長年の間維持管理す
るなどということは決してしないでしょう。

 例えば岸信介元首相は、関東軍参謀長であった東條英機に協力して満州国経営
で頭角を現し、東条英機内閣の一員として満州開拓団政策を積極的に推し進めた
人物です。

 いわば、満州開拓団の悲劇を引き起こした張本人の一人と言って良いでしょう。

 日本の敗戦後、彼はA級戦犯容疑者として逮捕されますが、アメリカの反共産
主義政策による対日政策の転換により、戦犯不起訴になります。そして反共産主
義、反中国主義色を強めていき、やがて内閣総理大臣にまで登りつめます。

 この岸内閣の反中国主義のせいで、民間団体が行っていた中国からの日本人の
引き揚げが中断し、芽生えかけていた日中国交回復の芽が潰えてしまいます。

 そしてその結果、中国の残留孤児達が「小日本鬼人」と罵られ、またしても苦
難の道を歩むことになったということを、僕も含めて当時の日本人は知る由もあ
りませんでした。

 うがった見方をすれば、岸首相は、第2次世界大戦中に自らが行った満州政策
の失敗を国民に知られないように、反中国主義を提唱したのかもしれません。

                    続きます    とものり

755. 方正地区日本人公墓−2 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/19(水) 13:55:16
 今では知らない人も増えてしまいましたが、日本の敗戦後、中国政府は日本に
対して賠償金を一切要求しませんでした。

 この時、「中国に残された残留日本人を援助し、支援した金額の賠償だけは日
本に要求するべきだ」という意見が、官民一同、特に人民の側から強く主張され
ました。

 しかし周恩来首相はこの意見に反対し、やはり国際主義的な精神を説いて官民
を説得したのです。

 その後、1966年から約10年間荒れ狂った「文化大革命」の際、紅衛兵が方正地
区日本人公墓を破壊しようとしました。

 その時、方正県人民政府は「これは日本軍の墓ではなく、日本の庶民の墓であ
る。彼等に罪は無い」と主張し、紅衛兵の要求を断固として退けました。

 またこの時、方正地区日本人公墓運動を行った中国残留婦人と現地の中国人の
多くが、スパイ容疑で処罰を受けました。中でも、運動の中心的な存在であった
中国残留婦人の松田ちゑさんは、3年間も投獄された末に、死刑の判決を下され
てしまいました。

 この時もまた、松田ちゑさんの名前を覚えていた周恩来首相が、死刑予定者リ
ストの中から彼女の名前を見つけ出し、危ういところを救い出してくれたのです。

                    続きます    とものり

754. 方正地区日本人公墓−1 投稿者:とものり [URL] 投稿日:2009/08/19(水) 13:54:38
 方正(ほうまさ)県は中国東北地方(旧満州)にあり、日本の敗戦時に多く(約
4500人)の満州開拓団の人達が悲惨な最期を遂げたところです。

 1963年、その人達の骨が野晒しになっていることを知った中国残留婦人(日本
の敗戦時に中国人の妻になり、中国に残った婦人)と現地の中国人達が、遺骨を
弔うために墓の建立を県に願い出ました。

 当時の中国には日本の侵略に対する恨みが根強く残っていて、反日感情が強く、
日本と正式な国交はありませんでした。

 しかし方正県の人民政府は中国残留婦人の願いを聞き入れ、文書を作って中央
政府に許可を求めました。

 それを知った周恩来首相ら当時の中国政府指導者達は、「日本軍国主義と日本
人民は区別して考える必要があり、日本人民も日本軍国主義の犠牲者である」と
いう国際主義的な精神から、大金を投じて立派な墓を建立してくれました。

 それが方正(ほうまさ)地区日本人公墓です。

                    続きます    とものり

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