玄関マンガと映画の部屋作品紹介コーナーお気に入りの映画

題名をクリックしても、残念ながら映画は観れません。(^^;)

○「FORMA(フォルマ)」(坂本あゆみ監督、日本、2014年)

久しぶりに固唾を呑んでスクリーンに見入った、心理サスペンスの傑作です!(*o*)/

全編に張り巡らされた巧みな伏線、不穏な違和感と張り詰めた緊張感、クライマックスの圧巻の24分間長回し等々、実に濃密な時間を堪能させてくれました。 坂本あゆみ監督は本作がデビュー作というのですから、驚くべき非凡さです。 生硬ながら、触れば切れそうな鋭い才気は、何となく女流漫画家・吉田秋生氏のデビュー当時を連想させます。

こういう驚異的な新人を見つけた時は、やたらと誰かに話したくなっちゃいますよね。v(^_-)

○「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」(三上智恵監督、日本、2015年)

「標的の村」から2年、フリーランスになった三上監督が前作以上に魂を込めて撮った傑作ドキュメンタリーです。

「標的の村」を観終わった時は、怒りでハラワタが煮えくり返るようでした。 でも本作を観終わった時はほっこりするような温かいものを感じて、知らず知らずのうちに涙が出てきました。 沖縄のこの大らかなユーモア精神と似たようなものを、先日のハワイショートステイでハワイ民族の人達から感じました。 大国に翻弄され、虐げられながらも、決して悲観的にならず、常にユーモア精神と人生を楽しむことを忘れない精神性は、琉球民族やハワイ民族を含むミクロネシア・ポリネシア・メラネシア民族に共通するもののような気がします。

島中に軍事基地があること、観光が経済の中心であること、そして外国の領土になっていながらも民族としての誇りを失わず、昔からの踊りや唄が生活に根付いていることなど、沖縄とハワイの間には多くの共通点があります。 でも大きな違いもあります。 それはハワイが戦勝国であるアメリカの領土になっていたため、島中にある基地は自国の基地であるのに対して、戦敗国である日本の領土になっていた沖縄は、島中にある基地が外国の基地である点です。 似たような歴史をたどりながら、その違いが現在の沖縄とハワイの状況を大きく変えてしまっているような気がします。

○「標的の村」(三上智恵監督、日本、2013年)

2012年9月29日に起きた、沖縄住民によるアメリカ軍・普天間基地完全封鎖闘争を中心にして、沖縄の基地問題をテーマにした三上智恵監督の渾身のドキュメンタリーです。

「沖縄は何と闘っているのか? 沖縄県民同士が傷つけ合うこの状況を、誰が作り出しているのか? その目で見届けて、沖縄の子供達の笑顔を奪うものの正体を暴いて欲しい」

という三上監督の熱い思いと、やり場のない怒りが映像からビシビシと伝わってきます。

以前から沖縄基地闘争の後方支援をしているので、現場の活動報告などを通して、一応、状況を少しは知っていたつもりでした。 でもこの作品で映し出された現場の状況は想像をはるかに超えて酷いものであり、言葉を失ってしまいました。

特に住民の反対運動を抑えるために、国家権力が住民を「通行妨害」で訴えたSLAPP裁判(Strategic Lawsuit Against Public Participation、権力を持っている団体が、声を上げた個人を訴える弾圧・恫喝目的の裁判)には、呆れ果てて心の底から怒りがフツフツと沸き上がってきました。 この裁判で国側は、住民のリーダー格の人を恫喝するために、基地反対運動には全く関わっていなかった彼の7歳の愛娘まで告訴して、裁判にかけるという、パキスタンでマララちゃんを襲ったタリバン武装勢力と同様の信じがたい暴挙を行ったのです!

この裁判の、国側の担当者がどのような人達なのかは知りません。 でも彼等に言いたいことは、本作中でも基地反対派住民が防衛局の局員と沖縄県警の警官に投げつけていた次の言葉のみです。

「恥を知れ!!凸(-"-)」

○「アイ・ウェイ・ウェイは謝らない(AI WEIWEI:NEVER SORRY)」(アリソン・クレイマン監督、アメリカ、2012年)

いやぁ〜、実に痛快な映画でした!(^o^)/

中国を代表する現代芸術家であると同時に、徹底した反体制主義者かつ人権活動家である艾未未(アイ・ウェイ・ウェイ)の破天荒な活動を追った、ライブ感溢れる傑作ドキュメンタリーです。 2008年の北京オリンピックのメインスタジアムである”鳥の巣スタジアム”を設計した建築家のひとりでありながら、庶民の生活を犠牲にして政府のプロパガンダに利用されるオリンピック大会を糾弾し、政府がひた隠しにする四川大震災の被害状況を個人的に調査して世界中に公表し、地震の犠牲になった子供達の名前を、インターネットを通してひとりひとり読み上げてもらうという追悼パフォーマンスを世界中の人達の協力を得て行い、地元警察による深夜の急襲で暴行されて脳外科緊急手術を受け、その様子をインターネットを通して逐一公表し、2011年には自身の上海スタジオを政府によって取り壊された後、ついに非合法に身柄を拘束されて81日間も行方不明になり、保釈後は自宅で24時間監視される軟禁状態になりながら、逆に自ら監視カメラを取り付けて、監視されている状態をインターネットを通して24時間ライブ中継するという、実にしたたかで狡猾な反政府活動を続けています。

本作を観てつくづく思ったのは、例えば自由を要求するだけで非合法に拘束されて弾圧される中国では、彼のようなしたたかで狡猾な人権活動家が現れ、女の子にも教育をと主張するだけで命を狙われるパキスタンでは、マララちゃんのような勇気ある人権活動家が現れ、自治を要求するだけで拘束され、ヒンズー教徒とイスラム教徒の相互理解を主張しただけで暗殺されるようなインドでは、ガンディー翁のような聖人的な人権活動家が現れるというように、権力者による弾圧が激しければ激しいほど、スケールの大きな人権活動家が現れやすいのではないかということです。

そして人権活動家が自らの命を犠牲にして、非暴力的手段で暴力的な弾圧や理不尽な迫害と闘う姿は、世界中の心ある人達の支持を受けやすいので、弾圧や迫害による被害が大きければ大きいほど人権活動家としてハク(^^;)が付くのです。 それはアイ・ウェイ・ウェイが逮捕される少し前に語った、「自分は、入獄するにはまだ努力が必要だ」という言葉に端的に表されています。

日本のように権力者のスケールが小さく、弾圧や迫害にしても、せいぜいが「非国民」とか「アカ」と呼ばれて村八分——残りの2分つまり火事と葬式のような緊急時には、加害者も被害者も助け合うのですよ(^_-)——にされたり、マスコミで叩かれたり、ヘイトスピーチをされたり、ネットウヨクによる嫌がらせのコメントをされたりするだけという、何とも微笑ましい日本では、スケールの大きな人権活動家は現れにくい——あるいは現れる必要がない——ような気がします。

権力者に弾圧され、周囲の心無い人達によって理不尽に迫害されてこそ、人権活動家は活動のしがいがあるというものです。 そのため中村哲氏のようなスケールの大きな人権活動家は、わざわざアフガニスタンのような国まで行って人権活動をすることになってしまうのでしょう。

でも最近の政府のすることや、マスコミや巷の風潮を見ていると、そのうちに日本にもスケールの大きい人権活動家が現れるのではないかと、密かに期待しています。v(^^;)

○「もうひとりの息子(Le fils de l'Autre)」(ロレーヌ・レヴィ監督、フランス、2012年)

最近、日本でも少し話題になった子供の取り違えをテーマにした秀作です。 イスラエルの軍人の息子と、事実上、イスラエル軍によって占領されているパレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区の技術者の息子という、究極の取り違えの物語です。

この作品はイスラエルとパレスチナの複雑で長期間に渡る対立と、舞台になっているヨルダン川西岸地区の激動の歴史をどの程度知っているかで、作品から受ける衝撃や感動が少し異なるかもしれません。 僕の素直な感想は、「こんなものすごい作品を作られたら、とてもじゃないけど敵わんなぁ…!(*o*)」というものでした。 ペシャワール会の賛助会員であり、マララちゃんのファンであることから、たまたまイスラム世界と中近東の歴史に興味を持って色々と調べているところなので、やたらと感情移入してしまいました。

またお気に入りのイスラエル映画「迷子の警察音楽隊」に出演していたハリファ・ナトゥールと、「シンドラーのリスト」にラビ役で出演していた名優エズラ・ダガンが、やはりラビ役で出演ていたのは嬉しい驚きでした。 中近東の歴史に興味を持っている人はもちろん、そうではない人にもお薦めの秀作です。v(^_-)

○「パコと魔法の絵本」(中島哲也監督、日本、2008年)

舞台「MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人」(後藤ひろひと作)を、中島哲也監督が映画化したハチャメチャ・ファンタジーで、キャッチコピーどおり「子どもが大人に読んであげたい物語」です!(^o^)/

舞台劇を映画化した作品としては「キサラギ」(佐藤祐市監督)、「サマータイムマシンブルース」(本広克行監督)、「曲がれ!スプーン!」(本広克行監督)など、けっこうお気に入りの作品があり、本作もその仲間入りをしました。 中島哲也監督らしいアニメを駆使したケバケバしい映像、ケレン味たっぷりの演出など、遊び心を通り越した”やりすぎのバカ騒ぎ(^^;)”を心ゆくまで楽しんでいる感じです。

出演している俳優達も、渋い演技が持ち味の國村隼がオカマに扮してクサイ芝居を連発したり、上川達也がキャラメルボックスじこみのはじけた演技を披露したり、阿部サダヲが掴みどころのない個性を活かして神出鬼没の狂言回し役を怪演したりと、実に楽しそうに演じています。 劇中劇の「ガマ王子vsザリガニ魔人」はまるで吉本新喜劇のようで、ボケあり、ツッコミあり、ギャグあり、泣かせありで、監督もスタッフも出演者も全員がノリまくり、はじけまくっています。

僕は、こういうハチャメチャでバカバカしい作品が大好きです!v(^_-)

○「オーケストラ!(Le Concert)」(ラデュ・ミヘイレアニュ監督、フランス、2009年)

とにかく、ラスト12分間のヴァイオリン協奏曲(チャイコフスキー)の演奏シーンが圧巻! それまでのぎこないギャグやドタバタは一体何だったんだと思うほどこのラストシーンには泣かされ、大団円では映画の中の観客と一緒になって拍手喝采してしまいました。 映画と音楽が好きな人にはお勧めの傑作です。

「のだめカンタービレ」とか「ピアノの森」とか「神童」とか、日本でも少し前にクラシック音楽を題材にした映画やアニメが流行しました。 しかし本作を観ると、こういった映画を撮らせたら、やっぱりヨーロッパ映画にはとてもかなわないということをつくづく実感させられます。

見ず知らずの者同士だった若き女性ヴァイオリニストと、寄せ集めのセコハン的オーケストラの指揮者・団員が、協奏曲の演奏を通してお互いに理解し合い、国や民族を超えて音楽そのものと一体化し、至高の境地に至るラストシーンが本作のテーマであり、だからこそ原題は「コンチェルト」なのです。 それを「オーケストラ!」という邦題にした配給元のセンスはやはり日本的というか日本人好みというか、僕としてはちょっと残念な気がします。

ちなみに、本作の翌年に「黄色い星の子供たち」(ローズ・ボッシュ監督)で良心的な看護師を演じることになるメラニー・ロランが、本作では不幸な生い立ちの美貌のヴァイオリニストを印象的に演じています。 また愛すべきチェロ奏者サーシャを演じるドミトリー・ナザロフが、チェロ奏者らしい風貌と体格、そしてペーソスを感じさせる名演技で実にいい味を出しています。 (^_-)

○「”私”を生きる」(土井敏邦監督、日本、2010年)

今、東京と大阪で起きている”教育現場での言論と思想の統制”に抗い、子供達の人権と教育現場での自由と民主主義を守るために、権力による弾圧と闘っている3人の教師たちの姿を見つめたドキュメンタリー映画の傑作です。 学校嫌いで、勉強嫌いで、教育嫌いなへそ曲がりな僕ですが(^^;)、これまでに観た教育関係の映画の中で最も感銘を受けた作品であり、”学校教育”とは別の意味で、真に教育的な作品だと思います。

本作の上演後、3人の教師のひとりである根津公子さんが舞台挨拶をされ、その後で根津さんを囲んで1時間ほど色々な話を聞かせていただきました。根津さんは実に魅力的な人で、僕はすっかりファンになってしまいました。 こういう優れて教育的な人格者に”教師失格”という烙印を押したがる東京都教育委員会(当時の教育委員長は、あの将棋棋士の米長邦雄氏でした)という組織は、反面教師という意味では、まさに”教育的”ではあるでしょう。 (^^;)

「田中さんはラジオ体操をしない」(マリー・デロフスキー監督)の田中さんと同様に、己の良心の声に素直に従い、反体制、反権力、反経済優先主義、反ビジネス中心主義的な生き方を貫いている人達がまだまだしぶとく生き残っていることに大いに共感し、またしても大きな勇気をもらいました。 (^o^)v

○「サラの鍵(Elle s'appelait Sarah)」(ジル・パケ=ブレネール監督、フランス、2010年)

”イタリア映画には生活があり、フランス映画には人生がある”という古い格言を再確認させるような、実にいい映画です。 情念も、過度な感傷もない抑制の効いた演出、俳優達の静謐な名演技、巧みなストーリーテリング、心にしみるラストシーン……本当に味わい深い、いい映画です。

ホロコーストをテーマにした映画は沢山ありますが、そのほとんどがドイツが行った行為を取り上げていて、ドイツ占領下のフランスがホロコーストに加担した行為を取り上げたものは非常に稀です。 僕も、この映画を観るまではフランスがホロコーストに加担したことを知りませんでした。 1995年にシラク大統領によってこの事実が公表された時、ドイツ占領下の出来事とはいえ、フランス国民は大きな衝撃を受けたそうです。 でもフランス在住のユダヤ人のうち4分の3の人がフランス人の支援などによって生き延びたことは、公平を期すために強調しておく必要があるでしょう。

パリのホロコースト記念館館長の印象的な言葉、

「数や統計から離れろ。 そして彼等ひとりひとりの命の現実に眼を向けるんだ」

に感銘を受けたブレネール監督は、この言葉を根本的なコンセプトにして本作を撮ったそうです。 そしてこの言葉は、ホロコーストのような人為的な悲劇に限らず、東日本大震災のような自然災害についても言えることだと思います。

ここ1年間で観た映画の中では間違いなくお気に入りベスト1であり、特に女性にお勧めしたい作品です。

○「ポール(Paul)」(グレッグ・モットーラ監督、イギリス/アメリカ、2011年)

ドイツ行きのルフトハンザ航空機内で観た、日本未公開映画です。 (^o^)/

「ショーン・オブ・ザ・デッド」や「ホット・ファズ」の脚本&主演コンビとして有名なサイモン・ペグとニック・フロストの作品なので、少し期待して観たところ、SF映画に対するオマージュとマニア向けギャグ(少々イギリス的(^^;))満載の傑作SFコメディ映画でした。

本作は一言で言えば「ET」のパロディですが、ラスト近くで”エイリアンキラー”のシガニー・ウィーバーが貫禄たっぷりに登場します。 この作品と同様に、SF映画に対するオマージュ&パロディ映画「ギャラクシー・クエスト」にも彼女が登場します。 彼女はSF映画好きにとっては憧れの女優であり、SF映画の象徴的なヒロインなのでしょう。

本作は「宇宙人ポール」という邦題で、2011年9月に日本の「第4回したまちコメディ映画祭」で上映され、12月には一般公開される予定だそうです。 もしその映画祭に出かける予定があったら、あるいは12月に映画でも観ようかとお考えだったら、本作をお勧めします。 v(^_-)