題名からしてアシモフの名作「銀河帝国の興亡」の駄洒落的パロディであることからもわかりますように、駄洒落に始まり駄洒落に終わる駄洒落作家・田中啓文の会心の短編集です。 この作者の作品は、最後のオチで読者をしていかに「アホや…!」と脱力せしめるかだけを目的として書かれていて、独創的な設定、魅力溢れるキャラクター、複雑な伏線、凝ったストーリーテリング等の全てが、ラストで物語をアホな駄洒落に収斂させるための長大な前振りに過ぎません。
そんな作品集だけに解説や作者あとがきもアホらしいほど凝っていて、特に解説は作品ごとに別々の人が解説をしていて、しかもそれらの全てが作品をヨイショするのではなく貶しまくっています。 ところがこの作者の作品に限っては、読後感として「アホや…!」と思われることがすなわち作品の成功ですので、貶すことがそのまま誉めることになるという、実にユニークかつアホらしいものなのです。
その意味で、解説者の一人である田中哲弥氏が「アホだと思われたい、みんなぼくのことアホだと言ってちょうだいもっと馬鹿にして、というのが田中啓文の人生であり、その欲求を満たすための手段に小説という方法を選んだに過ぎない」と見抜いた作者像は正鵠を得ていて、氏の慧眼に敬服せざるを得ません。
若い女性の肉体に脳移植された老人が、なぜかその肉体に同居する若い女性の霊魂(?)に助けられながら、魅力溢れる女性として再出発するというファンタジックな作品です。 作者は言わずと知れたSF界の巨匠で、定評ある傑作を沢山書いています。 この作品をそういった傑作の仲間に入れる人はあまり多くありませんが、こういうマンガチックで異常な設定の物語が大好きな僕は、定評ある傑作以上に気に入ってしまいました。
この作者らしいダイナミックなストーリー展開もさることながら、老人と若い女性の会話には作者の人生観や女性観などがよく表れていて、味わい深い人生訓として何度読んでも飽きません。 初期の作品にはユニークなアイデア、ダイナミックなストーリー展開、生き生きとした人物描写、端正な物語作りといった特徴があり、それが傑作と評価される所以ですが、晩年の作品にはこの作品のように作者の人生観を吐露した作品が多く、年を取るにしたがって初期の作品よりも晩年の作品に魅力を感じるようになりました。 これは、僕も次第に老人になりつつあるということでしょうか?
地球外病原体の侵入と、それに対する科学者達の苦闘をドキュメンタリー・タッチで描いたこの作品は、医学博士という作者の経歴をいかんなく発揮した傑作です。 コンピュータと医学に関する知識や理論がいたるところに出てきますが、劇的効果を上げるための架空のものも多く、ちょっぴりではありますがその方面の情報を持っているつもりだった僕は、ストーリー展開とは別に、必死になってその真偽を判別しようとしたものです。
作者は映画に興味を持っているらしく、作品にハリウッド映画的なところが感じられます。 そのせいか、この作品も、また最近の作品である「ジュラシック・パーク」も映画化されてヒットしていますし、作者自身も「ウエストワールド」などのSF映画の脚本を書いています。 ただハリウッド映画的というところは、ややもするとケレン味となって少々鼻につくことがありますが、この作品はドキュメンタリー・タッチで描いてあるため鼻につくところが少なく、作者の他の作品よりもお気に入りです。
高重力(3〜700G)惑星メスクリンを舞台とした、さわやかな読後感を残す科学冒険物語です。 作者が高校の理科教師のため、一般常識程度の比較的簡単な科学知識を駆使して物語を構成していますので、ハードSF小説の入門的な作品と言えるでしょう。
地球とはかけ離れた惑星上を舞台とし、人間とはかけ離れた生物を主人公にしているわりには、描かれるキャラクター達と物語は非常に人間臭く、しかも科学的楽観主義に満ち溢れています。 それがうるさ型の読者にちょぴり不満を抱かせる原因であると同時に、読みやすくて親しみやすく、しかもさわやかな読後感を残す大きな理由でもあります。
巻末付録の「メスクリン創世記」はなかなか傑作であり、これを読みますと、作者の主眼がメスクリンという世界をいかに科学的かつ理論的に構築するかにあり、登場人物達が織り成す人間ドラマを描くことにはないことがよくわかります。 こういった今では古臭いと受け取られかねない単純明快な科学賛美的楽観主義も、たまにはいいもんです。
ストイックな主人公の生きざまと友との友情というイギリス冒険小説の伝統を受け継いでいる、地味ながらしみじみと胸を打たれる傑作です。 登場人物のひとりとして、敬愛する”マハトマ”ガンディー翁をモデルとしたマハ・テーロなる人物が出てくる点も——モデルと違ってマハ・テーロを白人にしたのは少々いただけませんが——印象的で、作者の近来SF小説の中でも特にお気に入りの作品です。
この作品はオーソドックスな人間ドラマを描いていますが、海底を舞台にしている点で非常にユニークです。 宇宙に比べて派手さに欠けるせいか海底を舞台としたSFは少なく、この作品以外にはジュール・ベルヌの名作「海底2万里」くらいしか思い浮かびません。 ただ数が少ないだけに印象が強く、海底SFではありませんが小松左京の「日本沈没」の海底調査シーンも忘れがたいものがあります。
ミステリ作家としてデビューし、SFやファンタジーも書いている作者の代表作であり、SFともファンタジーともミステリーともつかない、何とも形容しがたい不思議な作品です。 この作者の作品としては映画にもなった「盗まれた街」も有名ですが、僕は作者らしいファンタスティックな懐古趣味に彩られたこの作品の方が好きです。
映画化されたことからもわかりますように、「盗まれた街」の方はスリルとサスペンスたっぷりのSF小説であり、より一般受けすると思いますが、この作品にはストーリー展開を停滞させかねないほどの懐古趣味が溢れていて、過去に対する作者の強い思い入れが感じられます。
この作品と同様の傾向のものとして短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」(ハヤカワSF文庫)があり、これも好きな作品集です。 こちらの方は短編ということもあり、よりファンタスティックで不思議な作品が集められています。 特に復元した古い家に魅了され、時の流れからドロップアウトしてしまう夫婦を描いた「クルーエット夫妻の家」や、古い机の秘密の引き出しを通して過去の女性と恋に落ちる青年を描いた「愛の手紙」は、何度も読み返しているお気に入りの小品です。
ちなみに、ハヤカワ文庫版「ゲイルズバーグの春を愛す」のカバーイラストは伝説的な少女漫画家、内田善美が描いています。 彼女はフィニィの大ファンらしく、「草迷宮・草空間」や「星の時計のLiddell」といった彼女の作品にはフィニィの影響が色濃く漂っています。
言わずと知れた古典的名作であり、映画や舞台にもなり、繰り返しマスコミに取り上げられるこんな定評ある名作を今更紹介するのは気が引けますが、お気に入りのSFとして、深い内容を持ち類稀な感動を与えてくれるこの作品をはずすわけにはいきません。
この作品でヒューゴー賞を受賞した時、アシモフから「いったいどうやってこんな作品を創りあげたのですか?」と尋ねられ、作者が「私がどうやってこの作品を創ったか、お分かりになったらこの私に是非教えてください。もう一度やってみたいから」と答えたエピソードは有名です。 こういった天啓の所産とも言える名作は、作者が作品をコントロールしながら書くのではなく、作品自体が生命を持ち、作品が作者をコントロールして書かせるようなところがあるようです。
そういった、いわゆる”憑依型”の作品はなぜかマンガに多く、例えば永井豪の「デビルマン」、日渡早紀の「ぼくの地球を守って」、いしかわじゅんの「憂国」、 前田俊夫の「うろつき童子」などをすぐに思いつきます。 マンガは小説よりも感覚勝負のところが多く、作品にのめり込んで描く憑依型の作家が多いせいかもしれません。
いずれにせよ作品に書かされるのは作家冥利に尽きるというもので、一応、自分でも物語らしきものをひねり出すのが好きな僕としては、一度でいいですからそんな体験をしてみたいもんです。